直帰を命じられ、駅へと向かう上司を少し歩いた大通りで見送る。タクシーを使うようにとそこまで一緒に来てくれたのだ。
喉元まで出かかった。どうかこの仕事を自分に来ないようにしてほしい、と。
仕事に対するプライドと責任感、プライベートでの混乱の狭間で揺れながら、雪穂は明らかに落ち込む上司に口を噤んだ。九重と会話の弾む雪穂をあんなに満足しながら見守っていてくれたというのに……個人の感情で台無しにした。
きっと、この仕事は他の誰かに決まるだろう。社会人として失格な雪穂のあの場での態度は次に繋がるものではなかった。どれだけ素晴らしい作品を描けたとしても、それだけで選ぶつもりがなかったから、九重は候補者全員とああして会ったのだろう。
選考が終わるまでは頑張りたいけれど、それさえも立ち消えてしまえば、幸いだとも思う。
「……」
一瞬だけ交わった、お互いを認識した目。暖かく明るい室内で見た冬夜は、ダークグレーのスーツを着ていて、会社勤めではないのに、その場の誰よりもかちこちに凝り固まった人だった。眼鏡を胸ポケットに差していて、仕事中だけ使用しているのだろうか。
などと……動揺しながらも観察してしまっていた自分に雪穂は心底呆れる。その知らない姿に胸が締め付けられ、嬉しさと愛しさが決壊を起こしそうだった。
冬夜の、恋かもしれない物語。
雪穂とて、彼が幸せになることを望んでいる。
なのに……馬鹿みたい。彼女が自分だなんて想像。
冬夜の幸せは、雪穂であっては成立しない。けれど雪穂はおこがましくも歓喜した。
「帰らなきゃ……」
一台のタクシーが上げた手に停まる。乗り込もうとしたところ、雪穂の腕は何者かに引き止められた。



