「雛子、行こっ」
そんな私を心配した榊さんが、昼休みになると教室から連れ出してくれた。
申し訳なく思いつつも、とても救われていた。
中庭のベンチがいつもの場所。
雨の日はテニス部の部室でお弁当を広げた。
「苗字で呼び合うの、そろそろ止めない? よそよそしくて、ずっと寂しかったんだ」
それは榊さんからの提案だった。
「雛子(ヒナコ)って、呼んで、いい?」
名前の呼び捨ては親にしかされたことがなくてとても新鮮だった。
「雛子って初めて呼ばれる」
私の一言に榊さんはびっくりしたように瞬きを繰り返えす。
「白井くんもそう呼んでない?」
「ううん」
春哉は、雛子とは言わない。
ひな。
と呼ぶ。
小さな頃からの発音で、私の耳には平仮名で、ひな。
そう聞こえていた。
説明すると、榊さんは不思議そうな顔をしていた。
「私は樹里でいいよ」
「え、私も呼び捨てなの?」
いきなりのハードルの高さに慌てる。
「少しずつ、慣れればいいよ」
そう言って榊さん――樹里は笑ってくれる。
彼女の笑顔は本当に暖かい。
私の事をいつも理解しようとして、テンポを合わせてくれる。
申し訳ないような、嬉しいような。
その優しさに、いつも甘えていた。