すると彼女は一瞬、考える表情で空を見上げる。

 茶色の髪が肩でふんわり揺れて、あの香りが僕を包む。

 ああ、これだよ、これ。好きな香りだ────────

「あめの」

「えっ?」

 よく判らなくて聞き返す。雨の?どういうこと?

 彼女が笑った。そして、ゆっくりと言いなおす。

「飴を、さっき落としてしまわれたでしょう。私のせいで。よかったら・・・お時間あるなら、お茶でも飲みませんか。私、時間がありますし、お詫びがしたいんです」

 力が入っていた肩が、ストンと落ちた。ほお、とゆっくり呼吸をする。足の先から熱が上がってくるようだった。それはじんわりと体中を包み込んで、僕を笑顔にさせる。

「お茶、いいですね」

 ちゃんと、そう言えた。


 ホームの2階にある小さなカフェで、周囲の騒音を完全に忘れて彼女と話し込んだ。

 注文したコーヒーは少し残ったままですっかり冷め切って、ミルク色の玉が表面に浮かんでいる。僕達は完全に時間を忘れて会話に没頭していた。ポケットの中で携帯電話が振動しているのも気がつかずに、僕はひたすら彼女の言葉に反応して笑う。

 そして僕は知った。

 彼女の名前も、連絡先も、引越しをしてもずっとこの駅を使うってことも。笑顔になるとちょっと左眉が上がるのとか、人差し指に傷があるとか、独身であることも。

 それと。


 あの、香りの名前も。




・「プラットホームの恋」終わり。