「武尊!」




 何を見るでもなく、組んだ膝の上に本を置いたまま、それを読みもせずボウッとしていた武尊は、ひまりの声に顔を上げた。


 かなり遠いが、彼の姿が見えるか見えないかの辺りで、声をかけたのだろう。

 急ぎ足で駆け寄ってきて、はあはあと息を切らせている。




 「別に走ってこなくったって良かったのに」

 「はは…、そうだね。待たせちゃったかなって思ったら、つい」




 そんな可愛いことを、サラリと言ってくれる。


 これが計算だというのなら大したものだが、林檎よろしく頬っぺたと鼻の頭を赤く染めて、それはないだろう。




 「…なに?」

 「ん?」

 「いま、笑ったでしょ?」




 悟られてしまったらしいが、それを素直に認めてひまりの気を悪くさせるほど武尊も無粋じゃない。


 膝の上の本を横によけ、ベンチから立ち上がる。




 「ひまの気持ちが嬉しかっただけだよ」

 「ええ?」

 「待たせて悪いと思って、教室から急いで来てくれたんだろ?」
 
 「……そりゃあ、そうだよ」




 ひまりは人を待たせたり、自分のために相手に何かをさせたりすることに恐縮するが、これまで実の姉を含めて、彼にそうした気遣いをする女というのはほとんどいなかった。

 …男には何かをさせて当たり前、してもらって当たり前の女ばっかだったもんな。


 もちろん世の中にはそんな女ばかりではないのもわかってはいたが、少なくても周囲にはいなかったし、慣れてもいたからそんなものなのだと不満もなかった。


 けれど、こうしていざ健気な気遣いをしてくれるひまりと接すると、それが妙にくすぐったくて、愛しいもののように感じられる。




 「とりあえず、どっかでお茶でもしよ?なんだか、喉が渇いた」
 
 「あ!そうだね、ごめん」

 「なんで謝るのさ?別にひまのせいじゃなくって、たんに勉強に集中しすぎて、俺が勝手になんか飲む余裕もなかっただけなんだけど?」

 「そうだね、ごめん、って、あ…」

 謝るなと言われたばかりで、すぐに謝ってしまい、謝罪のループにひまりが焦って口を抑えて目を白黒させている。




 「ぷっ」

 「えへへへ」




 照れ笑いする飾りっ気のない彼女が面白くて、可愛かった。


 なんでもかんでも、可愛い、一々愛しいと感じている自分がいかにひまりにハマっているかを自覚して、それが妙に気恥ずかしい。


 …俺、惚れ込んでるよな。