昨夜の後味 _ 3
私の出した大きな声に。バッグミラーの中から、チラリと視線が飛んで来た。
「…るっせーな…。」
『無理無理無理!私、そーいうの無理だから!』
渾身の力を込めて、両手を顔の前で大きく振り回す。
お持ち帰り、されるってことでしょ?!
さすがに、そんなつもりはない!!
「違ったの?」
『違うわっ!汗』
「じゃあ何だったんだよ、さっきの顔は。」
うっ…そう言われると、何とも。。
私、彼にどうして欲しかったんだろう。
唇を噛む。また、どうしようもない情けなさが込み上げてきた。
私、いっつもそうだ。
どこか人任せで、はっきりしない。だから柊介にも、飽きられたのかな___________
「てかさ、」
堕ちて行きそうになる後悔の渦を、彼の声が食い止めた。
「早く言えよ。うち、着くぞ。」
『へ?』
顔を上げると、キラキラ流れる夜景を背景に、呆れた顔で膝上に頬杖をつく八坂さん。
「だから、自分ちの住所。まさか、本当にうち来る気じゃねぇだろ。」
『…はっ、えっ、あっ?!』
慌てて、運転席と助手席の間から身を乗り出すと。バッグミラーの中で、すぐに運転手のおじさんと目が合った。
『は、はつだい、初台までお願いします!』
「はぁ?!」
了解しました、とおじさんが小さく呟く声に被せて。
今度は八坂さんが、隣で素っ頓狂な声を上げた。
「初台ならもっと早く言えよ!甲州街道通っただろ!」
『や、だって!!』
だって、まさか、本当に。
問答無用で、八坂家に強制送還されるのかと思ったんだもん…
って、あれ?
私、そうなってもいいと思ってた?
『…すいません。』
だめだ、今日の私。うまく頭が回ってないよ。
今日で28歳になったのに。
何から何まで、どうかしてる。。
「…ぷっ。笑」
暗い車内で、響いた吹き出し声に。
顔を上げると、八坂さんが肩を震わせていた。
「よくもそんなに、ころころ顔変えれるな。」
大きな右手で、口元を覆ってるのは。
あれ?笑ってる、から_________?
左手が、ゆっくりと持ち上がれば。シャネルのnoirが、またフワンと鼻先を掠めた。
「百面相かよ。」
頭頂部に降りてきた、左掌の柔らかさに。
一瞬、瞳が閉じてしまった。
それは、一瞬にしては十分な温もり。
そして何もよりも。
彼の笑顔を、初めて見たと思った。
流れる窓の外の光を逆光に受けて、その表情をハッキリとは捉えられなかったけれど。
柔らかいのに、艶っぽくて。
温かいのに、どこか妖しくて。
「おもしれぇ、やつ。」
“社内史上、最高の男”
その甘い微笑みに、昔耳にした彼の肩書きが甦って。
私の胸元は急に、息苦しくなった。



