唇トラップ



目下には、薄く微笑みながら「お疲れ様。」と。
目上には、親しみを匂わせながら「お疲れ様です。」と。

相変わらずソツなく、漏れなく。
女心をモノにしていく。

場違いなほどの、色香と甘さ。





「藤澤さん?もしもし?聞いてます?」

『あっ、すみません、大丈夫です。』


なんとか耳だけ、無理矢理に傾けたものの。

秘書課中の女性社員に取り囲まれている柊介が、気になってしょうがない。


先日の、寅次さんの件は別にして。
こんな風に業務中にやって来たことなんて今までなかった。
こんな風に、見せつけるようにやって来たことなんて。

ただの、一度も。




「ええっ、そんなギリギリの時間までいいんですか?!」

『はいはい、大丈夫です・・・。』



どうしよう。
明日の牧さんの出張どころじゃない。
今の自分の状況さえ、持て余してるのに。


柊介、何しに来たの?

いや、でも別に私に用があるのか分からないし。
誰か他の人に用があるのか、たまたま立ち寄っただけか_____________





ふと、目が合う。

瞬間、にこやかだった瞳は燃えるような熱を帯びて。
形の良い唇は、口角を完璧な角度まで持ち上げた。




だめだ。

間違いなく、“私に”来てる。










どうにかこうにか、電話を置いたところで。
「清宮くん、来てるわよ。」上ずった声で先輩に肩を叩かれる。

知ってます。

そう、つっけんどんに当たりそうになって。
堪えて席を立ち上がる。





足、長いな。顔だって小さいし。
柊介には、清潔感と色香が共存する。
女子が、こうやってときめきたくなってしまうのも分かる。

遠巻きに確認する柊介は、やっぱりいい男で。




「十和子。」



一際、大きな声で私の名前を呼んで。
この日一番の微笑みを見せ、辺りを桃色のため息で充満させた。

完璧な婚約者が、金曜日の始業中に会いに来る。
策士な柊介に、お誂えなシチュエーション。





立ち向かう私の、この悔しさは。

苛立ちにも似てる。