唇トラップ



だけど、どうしてわざわざそんなことを?


『その、まだ全部をはっきり話したわけじゃないけど___________もしかして、柊介に何か言われた?』

「いや。別に、“何か言われた”ってほどじゃないんだけど。」


微妙な口ぶり。
だけど、見上げた表情は微笑みのままで。

どこか、嬉しそうにも見えて。



「午前中、海営への報告会議だったんだ。俺、土壇場で達成見込みの数字を上乗せしただよ。取引先の一つが、予想以上に売り上げ好調だったからなんだけど。」


海外営業部への報告会議。
てことは、廣井さんと八坂さんもいたんだ。


「その取引先の前任が柊介さんで、ここはいつも後半伸び悩むから、見込みに上乗せするなって割り込んできて。
まぁ、俺もそこそこ自信あったから譲らなくてさ。」


割り込んできて、なんて控えめに表現してるけれど。
冷酷につっかかったんであろう柊介の姿が、目に浮かぶ。


「そしたら、柊介さんさ。」

『うん?』

「“去勢するぞ”って。笑」

『はぁ?!?!』


思わず大きく上がった声に、前の人が振り返った。
慌てて口元を押さえる。


去勢?!去勢って、あの去勢?!?!



「下期達成しなかったら、俺は去勢されるらしい。斬新だよな。笑」

『や、やばすぎ・・・。』


公共の場で、去勢だなんて。
柊介の精神状態を疑う。

私の前では、あんなにクールだったのに。
相当に怒っていることは、間違いない。汗




「一瞬、その場の空気が凍って。俺は柊介さんの意図が分かったから、なんか面白くて笑いそうになっちゃって。
そしたら、凝固してる廣井さんが目に入って。」

『・・・ぷっ。笑』

「想像できるだろ?笑
廣井さん、静まり返る雰囲気に何か言わなきゃと思ったのか。裏返った声で、“まぁ、清宮、ほどほどにな”って言ったんだよ。」

『あっは!笑』

「ほどほどにって、何だよな?笑」



前の人までが、開いたエレベーターに収まって。
私たちは、待ち並ぶ列の先頭になった。



『けど、なんかごめんね?私が余計な伝え方したから・・・。』


あの時、私を無理やりにでも連れ去ろうとする柊介が頭にきて。
エリーとのこと、柊介を煽るような言い方をしたのは確かだ。


「いやいや、それは全然。どうせ俺から話すつもりだったし。
藤澤が話してくれたんだって思ったら、ちょっと嬉しかった。」


満足げな気配の正体は、これか。
嬉しかった、なんて言われたら。

頬に駆け上がる熱を、唇を噛んで堪える。






チン、と。聞き慣れたエレベーターの到着音が鳴って。
横に避けるエリーの隣に並んだら、開いた扉の向こうには、大勢の人の中に廣井さんがいた。

携帯を耳に当て何か話しながら、私たちに気づいて片手を上げる。
さっきのエリーの話が浮かんで、思い出し笑いが出そうになって。

小さく頭を下げて、姿勢を戻すと_________




廣井さんから一拍遅れて現れたのは、マスク姿の八坂さん。