唇トラップ


昨夜の後味 _ 7





昼休みを行き交う人たちで騒つく、午後の廊下。

片手をスーツのポケットに入れて、もう片手で携帯を弄りながら歩いてきてた“王子様”は、眞子の声に顔を上げた。



「…おお!」



私たちを認めて、すぐに溢れるクシャリとした笑い皺沢山の笑顔。
なんでだろう?エリーに会うと、実家で飼ってる豆柴のゴンを思い出すのは…。




エ「昼?もう食ったの?」

眞「うん。エリーはこれから?」




エリーとすれ違う女子二人組が、眞子に笑いかけるエリーの横顔を盗み見ながら歩を遅める。
それにあざとく気づいた眞子は、我が物顔でエリーとの距離を縮めた。




エ「藤澤、今日携帯は?全然繋がらないんだけど。」

『あ、ごめん。電話くれた?』




彼は、柊介や…八坂さん、ほどではないけれど。
その爽やかなルックスから社内ではそこそこ有名で。
“会いに行ける王子様”なんて、呼ばれてたこともあった。

初めて彼と知り合った時、『同期にめちゃくちゃ可愛い男の子がいる!』と騒ぐ私に、眞子は「遅くない?江里岳人(えさとたけひと)でしょ?」と呆れ顔で即答したんだ。





眞「ほらー!携帯の電源切ってるっていうのはね、こういう支障もあるのよ。」

エ「え、切ってんの?敢えて?どした?」



サッとエリーの影に隠れて、加勢を頼もうとする眞子を睨む。



『煩いなぁ、眞子はそろそろ戻らなくていいの?』



ヤバ、と腕時計を見て顔色を変えた眞子は。
じゃあまた夜にね、と小さく手を振りながら、人がごった返すエレベーターホールへと駆けて行った。





エ「須藤は相変わらず騒がしいなぁ。笑」


『そう言えば電話ごめんね。何の用だった?』


エ「あ、そうそう。今日の夜空いてる?
廣井さんが帰国するんだよ。」


『え、廣井さんが!アラスカから!?』


エ「アラスカじゃないよ、ノルウェーな。笑
軽く飲み行くつもりなんだけど、藤澤ももし良ければ。」







廣井 直生(ひろい なお)。
商社であるうちの会社で、営業ラインの食品部門に所属。

ノルウェーで海産物関係を担当していて、二年前にノルウェー営業所立ち上げと同時に、あっさり営業所長になって駐在してしまった。
私たちの5個上の代でもう営業所長になるなんて、異例の大昇進!


私とエリーは、まだ廣井さんが人事部だった頃から、大変お世話になって兄のように慕って来たから。
廣井さんの海外転勤の際はとても寂しかったけれど、何だか鼻が高かった。