そしてその予想通り、人魚は特に気を悪くした様子もなく、ゆっくりと<彼女>の言葉に頷いていた。

「……そっか。そうだね。邪魔なら帰るよ……確かに、君は僕と話す理由がないわけだし」

「……」

此方が拍子抜けしてしまうほど素直に、人魚はそう言うと去るために沖の方角へ向き直る。

美しい碧の尾ひれがぐんと力強く水をかき、彼の体は浮かび上がった。

もっと言い争いになるだろうと考えていた<彼女>には、あまりにもあっさり引かれてしまうと、少し言い過ぎたのかなどと思ってしまってどうにも居心地が悪いもので。

けれど人魚は今にも泳ぎだそうというその時、思い出したように口を開いた。

「やっぱりまた来ても良いかなぁ?君の歌、本当に好きなんだ。だからさ」

「……え」

混じりけのない純粋な好意を向けられて、<彼女>は一瞬言葉に詰まる。

その隙を逃さず、彼はまた続けた。

「あ、あとね。言い忘れてたけど僕の名前。ロイレイ、だよ。覚えてくれると嬉しいな」

そうして彼は、にっこりと微笑みを向けてくる。

視界を自分自身の蔓で覆っていたはずなのに、一瞬、一瞬だけ、確かに彼の金色──瞳の色が、飛び込んできた。

「じゃあね、また」

……そして彼は、最後の最後に全く<彼女>に反論を許さず、言いたいことを言って去ってしまった。

「……あっ、ちょっと……!」

一瞬の空白の後、慌ててそんな言葉を発するも、彼はとっくに彼方の向こうで。

しばらく遠退いていく『碧』を見守りながら、<彼女>は溜め息をついた。

(なんなの、もう……『また』って)

別れ際の言葉が頭をよぎる。

あんなに『邪魔だ』とか『帰って』とか散々言ったし、唄だって歌わなかったのに、それなのにまた、あの人魚はここに来る気のようだった。

(邪魔、って言ったのに、聞いてなかったのかしら……?)

怒りにもなりきらないそんな感想が浮かぶ。

明日も来るのだろうか、と考えて、<彼女>はなるはずもない頭痛に見舞われるような気分になった。

(……ロイレイ)

どこか麻痺した<彼女>の心は、彼が発した不思議な響きの名前を無意識のうちに復唱していて。

──ほんの少しだけ、その響きが綺麗だとも感じていたりして。

「……変な人魚」

ぽつりと、素直な感想が漏れた。