「……こんにちは。驚かせてしまったかな。ごめんね、ここは君の場所だった?」

まじまじと見つめてしまい、発された言葉の意味を理解するのにワンテンポ遅れる。

(……この人魚、私に、話しかけた?)

そして、ようやく理解すると、<彼女>の戸惑いが、また一つ、増えた気がした。

人魚という存在に、出会ったことは初めてだったが、それがどんなものかは知っていた。

「海神の御子」と呼ばれて、海の世界で最も繁栄し、陸の世界に負けない文明をもつ、最も尊い存在。それが人魚、なのに。

(……そもそもこんな、辺境にいるのがおかしいし……にしたって、植物に話しかけるなんて……)

しかし、よく見つめていると、それは違うことがわかった。

彼は、<彼女>の方を見ているようで、よく観察すると、蔓の向こう側や、遠くを見るようなを瞳をしていた。

つまり彼は、<彼女>の存在を明確にわかって話しかけたのではなく、恐らくは、蔓の壁の向こうにいる"誰か"に向かって話しかけていたのだ。

それはそうだ、と<彼女>は変に納得をする。それから、もう少し蔓を動かして、<彼女>自身の視界から、彼を覆い隠した。──彼の思う"誰か"が自分だと、気付かれたくなかった。

<彼女>はそのまま返事を出来ないでいたのだが、彼は気にならないようで、ひらりとその場で宙返りをすると、勝手に話し出す。

「にしても、さっきのあれ面白かったなぁ……最初にね、なんか渦潮みたいなものに巻き込まれて、びっくりして抵抗してたら、収まったんだけど目が回っちゃって」

「…………」

かちりと繋がった気がした。つまり、今日の渦が小規模だったのは、海神が急いでいたからでもなんでもなく、彼という異物のせい、だったのではないか。

「それでふらふらしてたら、なんか急に何かに沈められそうになって……そっちのがびっくりしたかな。力がすごかったんだよ」

<彼女>は思わずぎくりとした。

無邪気に話しているけれど、彼を沈めようとしたのは、今彼が話しかけている存在そのものだというのに。

「君は大丈夫だった?」

──その上、そんな心配までするなんて。

<彼女>はその問いには答えず、代わりに別の質問をした。

「何をしに、こんな所まで来たの?」

(話をすり替えられた、と思われるかしら)

<彼女>はそんなことを思う。彼の問いに答えられなかった訳だから、実際にすり替えたようなものなのだけれど。

にも関わらず全く気にしない様子で、彼はその問いににこにこと、こう答えたのである。

「あ、そうそう。それを言おうと思ってたんだ……。あのね、綺麗な唄が、聞こえたんだ。すごく、すごく綺麗な唄が」