――トポポ…


カップの中に熱々のお湯を注いで、蓋を閉じる。
3分。
たかが3分。されど3分。
目を閉じてじっと待つ3分間はたとえようもないぐらい神秘的なものである。
カップから伝わるジンとした音が耳に沁み入る。

でもそんな至福の時も永遠には続かない。

身体が自然と覚えた感覚に私はそっと目を開けた。
期待に胸を膨らませ、蓋を外すその瞬間。
ふわりと立ち上る湯気。
鼻孔を抜けていく幸せの香り。
それさえも逃さず味わいながら、ほぅ、と息を吐いて中を覗き込んだ。

光輝く美しいスープ。
生き生きと躍るちぢれた麺。
肉も、ネギも、どんなに小さな具だって忘れてはいけない。だって、この舞台では皆が主役なのだから。
皆が揃ってこそ、舞台が完成するのだから。

このカップラーメンという、素晴らしい舞台が――…



「萌衣?もう8時過ぎてるけど行かなくていいの…?」

「…え?」

控えめなママの声に私はめくりめくカップラーメンの世界から現実に引き戻された。
まだポヤンとした頭のまま時計を確認する。確かに、8時をちょっと過ぎたぐらいだけど…


ちなみに、朝礼は8時半からだ。
そして、ここから私が通う紅葉が丘高校までは、歩いて20分は掛かる。

…私、まだ顔も洗ってなかったんだった。

「~~あーーーっ!!!遅刻するーーっ!!!」

急いでパジャマを脱ぎ捨てて制服を身につける。顔を洗って…髪は…もういいや!元々癖っ毛だから誰も気にしないよね。

そうこうしてるうちに弟くん×3が起きてきたみたい。いいなぁ、小学生は朝ゆっくりで。
なんて考えてたら、一番下の弟くんが寝ぼけ眼のまま私の宝物に手を伸ばしかけて――

「ダメーー!!カップにちゃんとフタバマーク描いてるでしょ!それはお姉ちゃんのカップラーメンです!」

「あ、ほんとだ。姉ちゃんのマーク…ちぇっ」
パッと手を下ろす弟くん。ごめんね、他の物だったら譲ってあげるんだけどこれだけはダメ。私の生きる糧だもん。

「っていっけなーい!伸びる伸びる!!」

少し冷めてしまったカップラーメンを左手に、割り箸を右手に、私は家を飛び出した。


三月萌衣。ピカピカの高校1年生。
私の1日はこの1杯のカップラーメンに始まる。