2月24日、年也は麻衣とスタッフで横浜へ向かった、麻衣「お兄ちゃん、番組の取材してる」年也「うん…」麻衣「私<emj:160>テレビに出るんだね」年也「麻衣…嬉しそうやん<emj:158>」横浜市中区に到着、スタッフ「この辺か<emj:158>」スタッフは聞き込み取材で、場所を突き止めた、その場所は空き家になっていた、近所の人によると、1978年の事件後、数年で引っ越して行ったとのこと、また阿部祐太郎には妹がいたことが判明した、妹は事件の1年前に白血病で亡くなっていた、父親は脳出血で事件の翌年1月に死亡していた、残った母親は実家のある川崎に引っ越したらしい、また阿部祐太郎は歌手デビュー直前だったことも分かった、年也「オレと同じ歌手」年也「でもその妹って…」スタッフ「若山、前世療法受けてみるか?」年也「はい…」27日、前世療法を行う人物のところへ、進藤春枝氏、打ち合わせを済ませ、前世療法は翌日と決まった、夜、麻衣「お兄ちゃんと私、前世でも兄妹だったのかな?」年也「おそらく、でも」麻衣「そうなら、また兄妹として生まれてきたのは、大きな意味があるね」