カナエは白衣を着てピアノ線で首を絞められた男の前で手を合わせた。罪悪感があるわけではない。儀式だ。儀礼的なもので心のざわつきが抑えられるなら、なおいい。だが、それは難しいだろう。カナエも心がないわけではない。罪悪感がない、と言っておきながら矛盾はしている。それはわかっている。というのも白衣を着た男のパソコンのデスクトップは家族三人の画像だった。屈託のない笑みを浮かべ男の子がサンドウィッチを持っている。口元には食べかすが付着していた。父親が死に、残された母子はどうなるのだろう。保険はかけていたのだろうか。預貯金はあるのだろうか。企業から慰労金はでるのだろうか。少なからず干渉に浸ってしまう。だが、この男は優秀すぎた。優秀な人間が優れた人間ではない。男は児童買春を行っていた。さて、母子がこの事実を知ったらどうなるだろうか。ピアノ線で絞め殺すのではなく、児童買春を行っていた事実を突きつけるのも悪い考えだと思ったが、「俺は真面目に働いていたんだ。少しは遊んだっていいだろう」という男の言葉には興ざめと虫酸が走り、「アディオス」と彼女は冷淡な声を放ち絞め殺した。
 そうだ。あと一仕事残っていた。むしろ、こちらの方が重要だ。