男は困った顔をしていた。「泣くことはないよ。何事も結果には理由があるものだよ。不思議ではない。でも、僕はこの空間にいて思うことは、何度も言う。僕はここにしか居場所がない」
「でも、私はあなたと居たいわ」
「一つ思ったというか辿り着いた事は、嫌な記憶とかって夢に表れたり、夢で書き換えたりすることがたまにあると思うんだ。僕は、そんなようなことに携わっていたんだ。非常に嫌で辛いことが起こった。そんなことがあるとは思わなかった。最後の意識の中で、僕はここに逃げ込んだ。多分、ここなら君に会えると思ったのかもしれない。何度でも、何度でも」
 男は椅子から立ち上がり、柔らかい笑みをたたえながら吐息がかかるぐらいの距離に近づいた。
「あなたを知っている。でも、名前を思い出せない。誰?」
 私は指で涙を拭った。でも、涙は止まらない。男は頬をつたう私の涙に唇をつけた。
「名前は重要じゃないよ。一緒にいたい、と思えることこそが重要。これを伝えたかったんだろうな。君は?」
 私は男を見つめた。
「私もよ」
 私の言葉が合図だった。互いの唇に触れた。もう一度、強く。もう一度、より強く。もう一度、強く触れた唇は、互いの唇を反動で離し、ゆっくりと互いの目を見つめ合うには十分だった。
「でも、やっぱり気になる。あなたは誰?」
 私の言葉に男はゆっくりと微笑んだ。




あらすじ

アオイは大学生であり記憶をテーマに研究していた。ある日、ジャズピアニストである井上ユミのシークレットライブに誘われる。井上ユミのライブ後にアオイの自宅前で彼女に遭遇した。井上ユミは酩酊状態であり、アオイの家に泊めることになった。二人の距離は縮まり、身体を重ね、果てた直後、アオイは井上ユミに首を絞められた。
 カナエは暗殺を生業にしていた。仕事が終わり、家に帰ると、記憶喪失の女が彼女の家にいた。記憶喪失の女のバッグには大量のお金があり一枚の写真があり、一人の端正な男が写り込んでいた。不思議に思ったカナエは、記憶喪失の女と一緒に彼女の記憶を取り戻しに行く。すると、端正な男は既に亡くなっていて、記憶喪失の女にはピアノ歴があった。カナエは端正な男を知っていた。それは彼女が井上ユミとして殺した男だった。カナエは気付いた。記憶喪失の女はカナエであり、カナエは記憶喪失の女であると。