それぞれの崩壊

そこには、予想を越えた光景があった。

焦点を失った母の目。半開きになった口からは、ヨダレが垂れていた。

彼女の右手には包丁。

左手には木槌。

「そうよね…ヒッ!ヒヒ…。分かる筈ないわよねぇえ。痛みを分かってくれと言っても、ヒヒ、ヒッ。実際に経験した事がぁあぁ、無いんだものねええぇえ…。」

イヒィッ、という母の異常な笑いと共に、木槌が振り上げられた。

ロボットのようにギクシャクとした動きで、僕の肩にそれは振り下ろされた。

ゴツッ、という音と、鈍い痛み。

「ぎゃ」と叫びを揚げて僕がうずくまると、その背中にまた木の塊が落とされる。

その後も母の左手は、ガクンガクンと、壊れたからくり人形のように僕の背中に、首に、腕に、足に木槌を振り下ろした。

恐怖と痛みと悲しみと淋しさと。僕はあらゆる負の感情に塗れて泣いた。泣いても泣いても、母の目は元には戻らなかった。

「痛みを知りなさい!!イィィ!ヒィィ!ほら!痛いでしょう!グガヒィ!痛いでしょうゥゥギィイィ!!」

痛み。これが痛み。

抵抗する術もなく、与え続けられる痛み。僕は痛みに溺れ、死という最後の脱出口が見えてくるのを待った。

そしてその時はやってきた。


「叩かれる痛みは分かったわよねえぇえ!ギフヒ!!それじゃ今度はキ、キ、切られる痛みよおぉ。」

僕は母の右手に光った包丁の、ヌメリとした輝きを想像した。それは絶望の光であり、至上の希望の光でもあった。