社会人になると私は、「歳時」という事を大事にした。それは、一度も経験したことがない子供時代を過したからだ。
正月には、鏡餅を置き、玄関飾りも付ける。クリスマスは、リースを作り、家の中に小さなツリーを買って飾った。
その他にも十五夜、冬至のゆず湯、しょうぶ湯と全てスーパーで教えて貰ったものだ。スーパーはよくしたもので、商品を売る為に、こうした歳時を教えてくれる。
そうした時に、「そうか、今日は冬至か」と知ったものだった。
そして楽しみでもなく、大っ嫌いなのが誕生日だ。なぜ産まれたのか、なぜ産んだのか、私は自分自身を忌み嫌うように、誕生日もまた嫌いだ。
クリスマスも正月も憂鬱でもあり、楽しみでもあった。
職場は、仕事納めの前に忘年会があった。これが苦痛だったが、パートさんが参加するのに、社員である私が参加しない訳にはいかない。
ものの30分程でいつも消えてしまっているから、いいけれど、「皆で親睦を深める」という主旨が苦手だった。
この日は、その忘年会だった。会費は飲み放題をつけて五千円。これは、暑気払いも、忘年会も変わらない金額だ。
いつも自転車通勤をしている私は、パンツを履く。だけど、忘年会のこの日、座敷に座ることを考え、ロングだったが、スカートにした。
大勢の従業員がごった返す会場は、毎年、ホテルと決まっていた。居酒屋では入りきらないのだ。
ホテルならば、もう少し会費がかかりそうなものだが、何かにつけ、このホテルを利用している会社は、幹事になったことがないので知らないが、きっと特別なのだろう。
父親の姿を思い出してしまう私は、酒を毛嫌いした。
今まで一口も口にしたことがない。乾杯はウーロン茶でした。
飲むピッチが速い従業員は、挨拶もほどほどに盛り上げって来ていた。
私は、腕時計を見ると、長居をしてしまったことに気が付いた。
いけない。モモが待っている。
今日は、少し遅くなるので、ご飯をいつもより多く置いて来てある。それは心配ないが、私の生活リズムが狂った事がないので、モモはきっと窮屈な思いをしているに違いない。
周りを見渡しても、誰も私には、気が付いていない。
横に置いておいたコートとバッグを持つと、そっと会場を出た。
ここまでは、会社の送迎バスで来ていた。
通勤で使っている自転車は会社に置いてある。
ホテルから会社までは、少し距離がある為、フロントにお願いして、タクシーを待った。
いつも入り口前にいるタクシーも、年末でいなかった。稼ぎ時なのだ。
だが、ぐうたらな父親は、寒いからとか何とか言って、休み、私が渡した金で満足しているのだろう。
10分程、ロビーで待っていると、タクシーが来た。