ピュア・ラブ

「あ……」
「ごめん、病み上がりだった」

下を見て歩く私は、橘君が戻ってきたことが分からなかった。カゴを持っていない、空いている方の手は、私の手を握った。
そんな支えはなくても、倒れたりはしないけど、心配なのかもしれない。優しい橘君だ、介護をしているような物だろう。
だまったままで少し歩くと、病院に戻っていた。
だけど、病院には入らず、隣の駐車場に連れて行く。

「車で送るよ」
「え? でも……」
「いいよ、乗って」

キーをかざして、車のロックを解除する。
モモのカゴは後部座席に乗せた。
タクシーの時もそうだったが、モモは車に乗っているのに静かだった。猫は乗り物が苦手だと聞いていたが、そうではなかった。猫もそれぞれなのだ。

「黒川、乗って」
「はい」

言われた通りに助手席のドアを開けて、乗る。
じっと座っていたら、橘君が私の前に覆いかぶさった。びっくりして、目をまん丸くしていると、橘君と目があった。

「シートベルト」

ああ、そうか。私は、タクシー以外の車に乗ったことがない。学生時代に、普通免許は取っておいた方が就職に有利だといわれていたが、その分のお金を用意できなかった。
新しく住むアパートの引っ越し費用、敷金、礼金にお金を回したからだ。社会人になって取ればいいと思っていたが、自転車で何でもできるこの街に来てしまったら、必要なくなってしまったのだ。
カチッとベルトの閉まる音がした。橘君が、閉めてくれたようだ。私は、恥ずかしくもあり、頭だけを一回下げた。

「寒くない?」
「うん」

橘君がエンジンをかけ、車は駐車場を出た。
私のアパートは、「たちばな動物病院」から20分程のところにある。
駅前の大通りに橋がある。その橋を横切って川沿いを真っ直ぐに行く。何個目かの角を過ぎると、私のアパートがある。
その川は桜並木で、春には見事な桜が咲く。
桜が散った後は、毛虫が凄く、虫の苦手な私は、絶対に近寄らない。
その道を通った方が、職場にも近いのだが、私は遠回りしてでも川沿いを通らない。
車で通るとまた景色が違う。
私は、助手席から見える景色をなんだか楽しんでいた。
だけど、私の家からは遠くなっているような気がする。おかしいと思い、少し、キョロキョロしてしまう。まさか、橘君が道に迷う訳がない。そうか、いつも自転車だから、車の表示は関係なく走っていたけれど、一歩通行とか、進入禁止とかがあるのかもしれない。
だから遠回りをしているのだ。
そう思っていたら、一軒のコンビニに車が入って行った。器用にくるくるとハンドルを回して、橘君は駐車場に車を停めた。