ピュア・ラブ

「卒アルに載っているから見てよ。クラス、一緒だったから」

卒アル? ああ、卒業アルバムのことか。そんなものはある分けがない。証明の為に、卒業証書は取ってあるが、その「卒アル」と言う物は、卒業式が終わって、すぐに捨てた。
私に必要な物は、頭の中にある知識と教科書。それだけだ。
でも高校でもしゃべらない私のことをよく知っている。
私は、早く家を出ることだけを考えていた。
バカで勉強ができないより、出来た方がいいに決まっている。それに、私には、本を読むことと、勉強以外のことはなんのとりえもない女だった。
家ではいる場所も無く、向かえるのは、自分の机だけだった。だから、勉強するしか寝るまでの時間が潰せなかったのだ。
中学は急にいじめが増える年頃だ。私は、勉強が出来たせいもあるし、存在感を消す努力をしていたから、いじめのターゲットにすらならなかった。
碌でもない両親のお陰で、高校には進めるはずもなく、3年の進路相談では、就職と定時制高校を希望した。
これには担任が猛反対して、成績優秀者が使える、特待生として受験をしろと提案してくれた。
高校進学自体はそれでいいかもしれない。だが、そのほかにかかるお金が用意出来ないのだ。それを言わなくてはいけない私は、何なのだろうと思った。
担任は、進学担当の先生と校長を巻き込み、私と何度も面談をした。
学校も家庭事情は把握していて、両親に最初だけ進学のことだからと面接をしたが、話しをするだけ無駄だと察したのだろう。それ以降の進路相談は私一人で行った。
一生懸命に高校を探し、特待生で、家庭の事情から、アルバイトも許可してくれる高校を何校も見つけてきた。
正直、高校などどうでもよかった。早く自立して家を出たい。それだけが望みだった。
高校の特徴を幾つも真剣に話してくれる担任には申し訳ないと心で思いながらも、話しは、私を素通りした。
しかし、担任は最後まであきらめなかった。そうして私は、担任が進める高校を進学先として選んだのだ。
金の亡者である両親は、制服代と教科書代を出すことに入学まで文句を言った。
担任はそんな私の境遇を哀れに思ったのかも知れないが、生まれた時からこの状態なのだから、何とも思わない。人間は環境に適合するように出来ている。
ただ、高校に入学したときには、この担任に感謝をした。
教育とは、やはりレベルがある。勉強にもレベルがあることを知った。
高校ではクラス分けをするのに、適正テストと言う物が入学前に行われた。私は、それをなんなく回答して、特進クラスとなった。
特進クラスには、医者希望や国立希望の生徒が沢山いていい刺激になった。
私が今までいた環境とは真逆の人生を歩んでいる子供達ばかりだった。すでに、差を認めていた。
そして、こんな所で同級生に合うとは、面倒なことになった。