初詣は一人だった。去年、橘君と行ったことが嘘のようだ。
今年もとてもいい天気で、神社に向かう人々は変わらず沢山いる。
なかなか進まない参道を歩いて、屋台から出る香ばしい匂いが食欲をそそるのは変わらないのに、隣には橘君がいない。
「いくらいれるの?」
賽銭箱に近づくとそんな声が聞こえた。
まさかと思い、後ろを振り向くと、高校生らしいカップルが話していただけだった。
橘君に言われたことと同じセリフが聞こえ、思わず後ろを振り向いてしまった。こんなに毎日の生活のなかで、橘君を追ってしまっているのに、忘れることが出来るのだろうか。
財布から千円と取り出すと、賽銭箱に滑り込ませる。
「橘君が健康でいますように。モモがいつまでも幸せであります様に」
冷たくなった両手を合わせて、そう願った。
帰りは、何も買わなかった。買ってしまうと、更に橘君を思い出してしまう。
朝はちゃんと起きられているのだろうか。
そんな世話女房のようなことを心配した。
人を想うということはこんなにも苦しいことなのだと、知ることができたのは彼のお陰だ。私には血が通ってないと思うようなことがたくさんあった。でも、自分以外のことで、悩み、悲しんで、苦しむ。切なくて涙が出て、私も生きている人間なのだと思うことができた。
そして、大事なことがもう一つわかった。
私は、自分を愛して、愛されたかったのだと。
それを教えてくれたのは、橘君とモモだ。
年賀状などこないポストを見てみると、一枚のはがきが入っていた。
「橘君だわ」
階段を大急ぎで昇って行き、鍵を開けると、玄関で待っていたモモを抱き上げ、ベッドの上に座った。
『レオに綺麗な花をありがとう。大切な家族を失った悲しみは大きい。僕はもう大切な人を失いたくない』
レオの写真がプリントアウトされた年賀状に、そう書いてあった。
私は、その年賀状を胸に抱きしめ、泣いた。
泣くものかと歯を食いしばって生きてきた。周りは、私の境遇をしり、あわれ、さげすさんで自分の地位を確認したいだけだ。そう思って来た。
人はそう変われない。
両親に対する深い憎しみ。それは一生消えることはないだろう。憎しみを抱えて生きていくことは決して幸せなことじゃない。だけど、それしか私が立っていられる方法はなかった。
絶縁したいま、心は本当に晴れやかだ。親不孝と思って貰っても構わない。
だけど、私を苦しめる影は無くなったのだ。これ以上のいいことはない。むしろ望んだら罰が当たる。
モモを自分の子供に置き換えて考えたこともあった。子供なら、寒くないか、暑くはないか、ご飯は美味しいか、よく寝るのか。仕草が可愛いと思えば、我を忘れて写真を撮りまくる。それが、親と言う物ではないのか。
アルバムが一冊だけある。亡くなったおばあちゃんが撮ってくれたのだ。その中の私は笑っている。だけど、おばあちゃんが死んでしまってからの写真は一枚も無い。あるのは学校の集合写真だけだ。これもお金が必要と分かると、文句を言った。たかだか二百円くらいのものにも。
運動会は悲惨だった。
弁当を作って貰えないかった私は、前日にスーパーで菓子パンを買ってこさせられ、それを保健室で食べた。先生は分かっていたらしく、皆には内緒で、そっとお弁当を作って来てくれた。
何度も面談をしようとしてくれたが、私の両親にはお手上げの状態だったようだ。
なかなか泣き止まない私を心配したのか、モモは膝の上に乗り、じっと私を見た。
動物には無償の愛と言う物があるらしい。何かの本で読んだ覚えがある。
私にそれができるだろうか。
自分を信じられないのが、今の私だ。
愛されたことのない私が、愛することが出来るのだろうか。
今年もとてもいい天気で、神社に向かう人々は変わらず沢山いる。
なかなか進まない参道を歩いて、屋台から出る香ばしい匂いが食欲をそそるのは変わらないのに、隣には橘君がいない。
「いくらいれるの?」
賽銭箱に近づくとそんな声が聞こえた。
まさかと思い、後ろを振り向くと、高校生らしいカップルが話していただけだった。
橘君に言われたことと同じセリフが聞こえ、思わず後ろを振り向いてしまった。こんなに毎日の生活のなかで、橘君を追ってしまっているのに、忘れることが出来るのだろうか。
財布から千円と取り出すと、賽銭箱に滑り込ませる。
「橘君が健康でいますように。モモがいつまでも幸せであります様に」
冷たくなった両手を合わせて、そう願った。
帰りは、何も買わなかった。買ってしまうと、更に橘君を思い出してしまう。
朝はちゃんと起きられているのだろうか。
そんな世話女房のようなことを心配した。
人を想うということはこんなにも苦しいことなのだと、知ることができたのは彼のお陰だ。私には血が通ってないと思うようなことがたくさんあった。でも、自分以外のことで、悩み、悲しんで、苦しむ。切なくて涙が出て、私も生きている人間なのだと思うことができた。
そして、大事なことがもう一つわかった。
私は、自分を愛して、愛されたかったのだと。
それを教えてくれたのは、橘君とモモだ。
年賀状などこないポストを見てみると、一枚のはがきが入っていた。
「橘君だわ」
階段を大急ぎで昇って行き、鍵を開けると、玄関で待っていたモモを抱き上げ、ベッドの上に座った。
『レオに綺麗な花をありがとう。大切な家族を失った悲しみは大きい。僕はもう大切な人を失いたくない』
レオの写真がプリントアウトされた年賀状に、そう書いてあった。
私は、その年賀状を胸に抱きしめ、泣いた。
泣くものかと歯を食いしばって生きてきた。周りは、私の境遇をしり、あわれ、さげすさんで自分の地位を確認したいだけだ。そう思って来た。
人はそう変われない。
両親に対する深い憎しみ。それは一生消えることはないだろう。憎しみを抱えて生きていくことは決して幸せなことじゃない。だけど、それしか私が立っていられる方法はなかった。
絶縁したいま、心は本当に晴れやかだ。親不孝と思って貰っても構わない。
だけど、私を苦しめる影は無くなったのだ。これ以上のいいことはない。むしろ望んだら罰が当たる。
モモを自分の子供に置き換えて考えたこともあった。子供なら、寒くないか、暑くはないか、ご飯は美味しいか、よく寝るのか。仕草が可愛いと思えば、我を忘れて写真を撮りまくる。それが、親と言う物ではないのか。
アルバムが一冊だけある。亡くなったおばあちゃんが撮ってくれたのだ。その中の私は笑っている。だけど、おばあちゃんが死んでしまってからの写真は一枚も無い。あるのは学校の集合写真だけだ。これもお金が必要と分かると、文句を言った。たかだか二百円くらいのものにも。
運動会は悲惨だった。
弁当を作って貰えないかった私は、前日にスーパーで菓子パンを買ってこさせられ、それを保健室で食べた。先生は分かっていたらしく、皆には内緒で、そっとお弁当を作って来てくれた。
何度も面談をしようとしてくれたが、私の両親にはお手上げの状態だったようだ。
なかなか泣き止まない私を心配したのか、モモは膝の上に乗り、じっと私を見た。
動物には無償の愛と言う物があるらしい。何かの本で読んだ覚えがある。
私にそれができるだろうか。
自分を信じられないのが、今の私だ。
愛されたことのない私が、愛することが出来るのだろうか。



