盗撮騒ぎから三日目の水曜。


部活は毎日放課後だが、朝のバスでは顔を合わせる四人。


その時間まで葦海がどこで何をしているのか、よくわからなかったが、聞くこともなかった。


何より気になったのは、メールをしあったのに、


「おはよう」


のひと言で終わる蓮谷の態度だ。

確かに、迂闊に近寄れば、どこかで見ている取り巻きの女生徒に睨まれる。


それでもほんの少し、期待している自分がいた。


もしかして、もしかしたら、万にひとつ、あれをきっかけに、

自分に興味を持ってくれて、


「俺の彼女に近付かないでくれませんか」



葦海を撃退してくれるかもしれないと。


今日も爽やかに外を眺める蓮谷の横顔を眺めていた。


そしてそんな笑結を、鳶川は眺めていた。


「飽きもせずイケメン眺めて。嬉しいか」


背後から頭に顎を乗せる葦海。


「だから!近いって!シッシッ」


手で払う笑結。いちいち動揺しても疲れるだけだと思い始めた。


そして最初ほど驚かなくなっていた。麻痺してきたのだろうか。


「け!人を犬みたいに」

「似たようなもんでしょう」


面白くなさそうに、


「言うようになったのう、チョロ吉の癖に。ほんまに、ちゅうしたろうかな、あいつの前で」


キッと睨むと、声を抑え、


「あいつの前で、というより公衆の面前で、破廉恥な言動は慎んでください!

いちおう!教員なんですから!」


いちおう、を強調してから、


「そもそもキスというのは好意を持った者同士の意思表示で」


真面目に応えている自分が恥ずかしくなる。


「もういいです」


ため息をつき、降りる用意をする。

「お前の気持ちはどうでもええ。俺がしたかったら、どうする」


「真面目な顔しても、もう騙されません!嘘は顔だけにしてください」


子供だと思って馬鹿にしてる。真に受けてはいけない。


「キッツイのう!」


顔をしかめ、撃たれたように手で胸を押さえる。


「またあ!こんなので堪えるわけないでしょう?」


「すっかり仲良くなったんだね」


バス停で降り、追い抜き際に蓮谷があからさまに爽やかな笑顔で毒を吐く。


「そ、そんな!そんなことないです!!」


泣きそうになって誤解を解こうとするが他の女生徒も増え始め、近付けなくなってしまう。


「またあんたのせいで!!」


葦海を睨み付け、ふん!とそっぽを向く。


「ええ加減、せんせいと呼べ」


「邪魔しなければ、いくらでも」


「それは無理な相談やな」


「ほら、他の生徒も挨拶してますよ」


後ろから自転車で来た、明らかに一年の吹奏楽部の女子数人が、元気に挨拶する。


「先生、おはようございま〜す」


「ああ、うん!おはよう!」


振り向き手を上げて返す隙に、ダッシュで逃げる。


「あっ!こら待て!逃げんなチョロ吉!」


「付いてこないで!うっとおしい!」

「教師に向かってうっとおしいとは、なにごとですか!」


校門の前で制服のチェックをしていた山羊李季に注意される。


週に一度の校則チェックの日だ。

「ですよね〜もっと言うたってください!」


「おはようございます!山羊先生」

葦海に構わず早足ですり抜ける笑結。

至って校則通りの笑結は止められることもない。


保険医の李季は、今年30歳で、白衣の似合うスリムな色白美人。

手入れされた髪は背中まで伸び、緩くカールして肩上でひとつに束ねられていた。


ブランドの香水を纏った、大人のオンナだ。


男性からのプレゼントだけれど特定の彼氏は作らない主義だった。

ひと癖ありそうな葦海に興味を持っていた。


落とせば楽しいかもしれない。つまらなければ捨てればいい。


「今日、歓迎会でお食事会しようと思ってるんです!いかがですか?」


葦海の腕に絡み付く。


「えっ?いや、僕は遠慮しときます」


慌てて離そうとするも、


「そうですか!行きますか!ではまた後で!」


「はっ!?」


きょとんとする葦海をよそに、生徒が集まってくる。


「付き合えばいいじゃないですか!」

「そうだそうだ、付き合っちゃえ」

「お似合いですよ、ヒューヒュー」

「メッチャスキヤネン、とか言わないんですかあ」


「関西弁をなめるな。中途半端な発音が一番ムカつくんや」


「そこ?」


言っていた『オトナのオンナ』を目の当たりに

笑結はまた、棘が刺さった気がした。


部活を終えた葦海は、裏口から辺りの様子を窺いつつ逃げるように帰ろうとしていた。


「何してるんですか?」


同じく部活終わりの逢と悠、笑結に出くわし、ビクッとなる。


「えええ?いや?なんも?はは、帰ろ〜っと」


「あーー!!やっぱり逃げようとしてた!葦海センセー」


李季の声に、さすがの葦海も
ひっ、となる。


また腕に絡み付くのを目の当たりにした笑結は、


「そ、そういうことなんですね、じゃあ私たちもこれで」


「ほ、他のセンセーも一緒のはずやで?ねぇ、センセー」


「あら?そんなこと言いましたっけ?これからふたりで呑みにいくんですよね〜お・さ・け!」


もうすでに酔っぱらい状態で絡む。

「帰りはウチまで送ってくださいね〜?」


笑結たちに向き直ると、


「ここからはオトナの時間だから、お子ちゃまたちは真っ直ぐおウチにお帰りなさい」


なぜかわからず、ずきずきした。

なんとなく居たたまれなくなった笑結は、無言で背を向け走り去った。


「不躾だねぇ、最近の若いのは。先生さようなら、のひとつも言えないの?」


ふふん、と鼻で笑う李季。


何か言いかけた逢。が、


絡ませた腕を乱暴に振りほどくと、

「すんません。俺も帰ります」


「え"〜〜っ」


「不躾なんはアンタや。そういうオンナ嫌いなんで、俺」


「ふん、そんな偉そうなこと言って、後でどうなっても知らないよ?うちのパパ怖いんだから」


ムッとする李季。脅し方が小学生だ。


「好きにどうぞ」


思いがけず男らしい姿に感心する逢と悠。

元もと李季の存在はあまりよろしく思っていなかったのだ。


* * *

「惚れたな」

「はあ!?」

単身寮に帰宅し、一人晩酌を楽しんでいた頃、掛かってきた電話に出た葦海。


実家の近所に住み、遊び仲間で呑み仲間の護浦からだ。


大阪で家業を継ぎ、家族も持った45の護浦。


一人地元を離れた葦海を気遣ったのだ。


「そろそろホームシックにかかってる頃やないかと思ってな」


うひゃひゃ、と笑う。


「そんなワケないでしょう。幾つや思ってるんですか」


「俺の中では永遠の幼児、いや、中2かな?」


真面目なトーンでふざける。


「ゴウさ〜ん、勘弁してくださいよ」


そんな話の流れで出てきた、笑結の話を聞いた護浦は、直感でそう思った。


「あーんなチビの生意気なガキ。高校生ですよ?惚れる?冗談はヨシコちゃんですよ」


「お前がそうやって、けなすときほど、後でやっぱりそうやったんやってのが多いんや。

ベッピンに惚れるとは限らんからな、俺みたいに」


「はいはい、ゴウさんの奥さんは日本一、いや宇宙イチのベッピンです」


「そうやろう?言うとくがな、あっちが俺にぞっこんなんやで?俺は仕方なく」


「はいはい、ごちそうさんです」


「お前、信じてへんやろう!け!」


いつもつるんでいたので口調も似ていた。
お酒が入ると特に似る。


「まあ、大事にするんやな」


「だから、そんなん違いますって!俺にはもう心に決めた人が」


「彼女はもう天国に旅立ったんや。いつまでも引きずるな。しんどいだけや、っておい泣いてんのか?」


「泣いてません!泣くわけないですやん」


言っているそばからティッシュで鼻をかむ音が聞こえる。