部屋の玄関を入った、廊下の奥で様子を窺う母子。


リビングの明かりで廊下は充分だったので、


玄関の明かりは落とし、魚眼レンズで窺いながら、葦海が外に声を掛ける。


「どちらさんですか」


表の男はピクリとし、


「あ、あのう、ご主人の会社の者です」


元、を付けないことに引っ掛かった。

知らずに通す可能性もある。


唯一の男性である家主が留守のはずなのに、と驚いているようだ。

「ご用件は」


「えっと、ここではちょっと。中に入れていただけると」


ここまで許可なしで入ったということで不法侵入にもなる。


強引な侵入は免れたいようだ。


念のためリビングのドアを閉めさせ、何かあったらすぐ通報するよう、母に指示した。


ドアを開けると、50代くらいの小太りの男が、


持っていたバットを振りかざした。

ガン!!


鈍い音がした。

傘で応戦したのだ。


「うわーーっ!!」


さらにバットを振り回し、葦海の眼鏡に触れ、飛んだ。


隙を付いて、中に押し入る。


ちっ、と舌打ちすると、


「お引き取り願えませんかね!?警察、呼びますよ」


厳しい口調で詰め寄る。


「うるせえ!!」


暴れ、廊下まで入ろうとした男の足を引っ掛け、腕を掴むと、一瞬で背負い投げをした。


きれいな一本背負いだった。


が、


ミィが玄関先に飛び出す。

ドアの影、葦海の背後にいたもう一人の男に飛び付き、噛み付いた。


「いって!!この猫!!」


「ミィ!!」


振り回され、弾かれ、壁に飛ばされたミィを助けようと、

咄嗟に飛び出した笑結。


男の取り出したナイフが笑結に降り下ろされた。


「ミケ子!!」


庇いに行った葦海の腕にナイフが刺さる。


「……ってえ…本気ださなしゃあないみたいやな」


ナイフを抜いて投げ、男の腹目掛けて突っ込むと、腕を取り投げた。


「おらあ!!」


どすん!!という音。


ようやくその男も伸びた。


警備員が駆けつけ、警察も来て、男二人を連行していった。



***

「実は、血ぃ、あかんねん」


「えっ?」


「人の血、見ても貧血起こすほどな」


救急車で運ばれる車内。
青い顔で葦海が呟くように。


「うう、気持ち悪い。くらくらする」


「看病、してもらわなあんなあ。助けたったんやし」


「イヤですよ!…ってあ、明日、日曜!!」


「なに?」


と睨む。


「あ、い、いや、独り言、です」


「はい、このまま病院行き。決定」


「いやだ〜〜帰るう〜〜!!」



「センセイ、私のこと嫌いなんでしょう?なんなんですか?」


傷は浅く、一週間の入院で済んだ。


「しゃあないやんけ。近場に親しい人間おれへんねんから」


「や、山羊センセイが、いるじゃないですか」


「お前、この期に及んでまだアレの名前出すか、気分悪い」


「だって」


「ああ、嫌いやから罰として介抱係」


「…意味がわかりません」


「デートやろ」


「えっ…」


「明日」


「センセイには関係ありません」


「そやな、こっちの方が大事やもんな」


にやにやしながら。


「充分元気そうですけど」


「ミケ子、元に戻ったからな」


うっ、となる。


「…仕方ないじゃないですか。こんな状況じゃ」


「刺された甲斐あったっちゅうこっちゃ」


ニヤリと笑う。


「わ、私そろそろ帰ります。あっ、そういえば、眼鏡…」


ようやく違和感に気づく。


「ええねん。伊達やから」


「な、なんのために!?」


「賢そうに見えるやろう?インテリっぽく」


とことん呆れ、言葉をなくす。


「あら?葦海センセイ?」


女の声がした。


「や、山羊…センセイ」


二人とも、まずいと思った。


「ああ、弟が入院してて、奥のベッドで。忘れ物取りに」


これ、とスマホを見せた。


「教員と生徒が、こんな時間に密会?チクっちゃおうかな」


「や、やめてください!」


「じゃあ、葦海センセイ、譲ってくれる?」


「な…」


「お、俺は別に、どうなっても」


「彼女の内申に、傷が付いても、ですか?」


「こ、このことは見なかったことに。お、お願いします!」


咄嗟に頭を下げる笑結。


「私のせいでセンセイがクビになったら困ります!」


ふふん、と笑うと、


「わかればよろしい」


「はあっ!?いや、ちょお待てって!そんな」


大体何のためにあそこまで、と言いかけたが、


「笑結!」


残業で遅くなり、連絡をもらって飛んできた父が、ドアを開けた。

「お父さん」


「大丈夫か!?心配したぞ!」


はーっと息を吐き、父が抱き締める。


「よかった…無事で」


葦海に向き直ると、


「危ないところを助けて下さったのは感謝します。ですが、これ以上娘に関わらないで頂けますか」

なんとなく、関わってはいけない、娘に深入りさせたくないと直感した。


「それはできない相談ですね」


「何ですって?」


葦海も飄々と応戦する。


「ですから!あなたのような人間と関わると、ろくなことにならないと言ってるんです!

娘に万一のことがあったらどうしてくれるんです?」


「どうって…別に、なんとでもしますけど」


「なんとでも?」


「ミケ子が怪我したら介抱しますし、俺がしたから付いてもらってる。

ま、どんな状況でもミケ子に怪我さすヘマはしませんけどね」


女性に手を出させない、というより、笑結だから、というニュアンスに父も、


「ミケ子、ミケ子ってあなた、嫁入り前の娘をなんだと…」


「もらいましょか」


「はっ!?」


「なにを…??」


もらう、の意味がわからず、きょとんとする笑結と、

あまりに突然すぎる言葉に絶句する父。


「その相談ならできるんですけどね〜」


あくまでケロッと、しかも上から目線だ。


「な、なにを、言ってるのか、…意味がわかりません」


顔を撫で上げ、頭を掻く父。


こんなに動揺している父を見るのは初めてだった。


「考えといてな〜実地研修」


帰り際、投げ捨てるように言った言葉も、


父のドアを閉める音で掻き消された。


思ったよりぴしゃりと響き、自分で閉めてびくっとなる。


「じっち…??」