気がつけば、私は病室の入口に戻ってきていた。
ベッドのわきのいつも私が座っている丸椅子に腰掛けているスーツ姿のお父さんの背中が見えた。
窓の外を見ると、もう夜だ。
仕事帰りなんだろう。
お母さんも病院の人もいなくて、お父さんただ一人だった。
お母さん、ほとんど病室にいるから、もしかしたら一度家に帰ったのかもしれない。
たまには帰らないとね。お母さんが倒れちゃう。

お父さんは、黙ったまま私を見ているように見えた。
背中しか見えないから、表情まではわからないけれど。
お父さんの背中からは、どんな感情も読み取れない。
それが、濃いグレーのスーツのせいなのか、ただたんにお父さんだからなのか、わからない。

思えば、こうやってお父さんとふたりで同じ空間にいることって少なかったな。
リビングにいるとき、いつもお母さんかお姉ちゃんもいたし。
お父さんと二人だと気詰まりで、私はいつも自分の部屋に上がっていた。

「さくら」

お父さんの声は震えていた。

「さくら……」

ゆっくり、お父さんの側まで近づいて、息を飲んだ。
お父さんは泣いていた。
声に出さずに、静かに。

お父さんが泣くなんて、思わなかった。
事故をしてから、数え切れないくらい、お母さんとお姉ちゃんの涙は見たけど。
お父さんが泣くなんて。

お父さんは、私の右手の甲をさすってくれていた。
私には、その感覚は伝わってこないけれど、両手で包むように何度も何度も。

思えば、こうしてお父さんに触れることなんて、いつ振りなんだろう。
幼稚園の頃だろうか。
手をつないで、はねるように歩いた公園からの帰り道。
たしかに自分の思い出なのか、幼い頃の写真を見て作られた記憶なのか。

思い出せないほど、遠い記憶。