小夜啼鳥が愛を詠う

カーテンコールもなく、波が引くようにざわざわと、客席からヒトが出ていくと、舞台の電気が再び灯された。

セットの撤収作業が始まるようだ。

「あかん!着替えてくる!……光、打ち上げ、来るんやろ?」

器用に僕の腕をすり抜けて、菊乃天人は身を翻した。

「うん。お母さんにタクシーチケットいただいたから。ゆきぼんと行くよ。」

「わかった!ほな、あとで!」

パタパタと重たいはずの帯をなびかせて、菊乃天人は楽屋へと走って行った。


迷子になりそうなので、僕は舞台から客席へ下りた。

「……何、やってるんすか。」

もう誰もいないと思ったのに、独りぽつねんとゆきぼんが座っていた。

「や。客席へ戻る道がよくわからなくて。舞ちゃん、帰ったの?」

「ええ。……事務所がまた襲撃されたらしくて、組のヒトが迎えに来ました。出発を早めるそうです。……菊ちゃん、淋しくなるだろうな。」

ゆきぼんはそう言って、きっと僕を睨んだ。

「菊ちゃんの淋しさにつけ込んで、手を出したりしないでくださいよ。約束守ってくださいね!」

……約束……ね。

「うん。そのつもり。これから忙しくなりそうだしね。」

そんな邪(よこしま)な想いは、封印だ。

「……暇な大学生じゃなかったんすか?」

「まあ、大学生としては暇だよ。うん。」


苦笑しか出ないよ、もう。

僕は、本当に暇で気楽な学生だったんだ。

マスターのお店を手伝うのも、アルバイトですらない、趣味と道楽のようなものだった。

大学を卒業したら、もっと暇になって、本格的に純喫茶マチネの人間になるつもりだった。

……まあ……あの店だけじゃなくて、マスターの不動産の財産管理を担ってほしいとは以前から言われてたけど……そんな気もなかったし、専門家に任せるつもりだった。

まさか、その専門家になるための勉強を始めることになるなんて……。



「とりあえず、行きましょ。連休で道こんでるだろうし。タクシー拾いますよ。」

「あ。うん。僕、タクシーチケット預かってる。」

そう言ってピラリと小さな紙片を見せたら、ゆきぼんはニヤリと笑った。

「勝った!俺、束でもらってるー。」

小さな帳綴りのタクシーチケットをわざわざ僕に見せびらかすゆきぼんが、年相応にかわいく見えた。