小夜啼鳥が愛を詠う

「コレ、何?行商?水を汲んでるの?」

そう聞くと、菊乃天人はぷくっと頬を膨らませた。

「違うもん。『汐汲』(しおくみ)。舞台は須磨。在原行平の形見の烏帽子やもん。」

「へえ……須磨なんだ。あ!『松風・村雨』?」

そうか!

それなら知ってる。

お能の演目なら「松風」だ。

百人一首にもなってる和歌のシチュエーションだ。

僕は、行平の短歌を思い出して口にした。

「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来む」

……ん?

「ねえ。コレも、今回の『砧』(きぬた)と同じで、去った男を待ってるんじゃない?……この時は、あやさん、出てこなかったの?」

そう尋ねると、菊乃天人は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「……出た出た。コレなら大丈夫かと思ったのに、よりによって、本番に気配を感じてしもて、まったく集中できひんかってん。とーさまにめっちゃ怒られた。」

「あ~……そっか……。」

大変だったんだな……。

「でも、もう大丈夫だね。菊乃さん、ちゃんとあやちゃんの心を取り込んで、表現できてると思うよ。……芸の肥やしにできてる。菊乃さんも、もう怖くないんだよね?今年はお父さんにほめてもらえるよ。」

気を取り直してそう励ました。

菊乃天人は、静かにうなずいて、それから言った。

「……とーさまの、私のお稽古をみる熱意が変わってん。ちゃんと見てくれてはる。……誉めてもくれはるねん。……全部、光のおかげ。」

瞳が、キラキラしている。

……恋する瞳だ。

いや、うれしいけどさ……僕のおかげ、ではないよな。

「そう。よかったね。でも、僕じゃなくて、菊乃さんがあやちゃんから逃げずに、頑張ったからだよ。」

そう言ったら、菊乃天人は真面目に首を横に振った。

「ううん。光のおかげ。おばあちゃまもそう言ってる。……それでね、おばあちゃまと、かーさまがゆーてはるねんけど……舞台で『砧』を私がちゃんと舞えたら、光を、とーさまに紹介したい。」

……紹介……。

それは……遠縁として?

それとも……僕は、菊乃天人の何と紹介されるのだろう。

彼氏?

友達?

恋人?

……どれも実態を伴わないな。

成長待ち中の親戚のお兄さん……てところなんだけど。


僕の返事をじっと待つ菊乃天人に苦笑して見せた。

「まさか、殴られないよね?」