小夜啼鳥が愛を詠う

「誰か出てきたみたい。」

自問自答してるらしい菊乃天人にそう耳打ちする。

慌てて顔を上げた菊乃天人はフロントグラスの向こうをじっと見てから、今度はずるずると背中をシートにすりつけるように上半身を下げていった。

どうやら隠れたいらし。

「誰?お父さん?」

遠目で顔は見えないけど、和装の男性だ。

黒い羽織に、袴まで付けてる。

普段着ではなく、一張羅だよな。

菊乃天人は、リンボーダンスのように低くなったまま言った。

「ゆきぼん。芳澤の門下生。歌舞伎役者の息子。……知ってる?中村如矢(ゆきや)。」

「……あー。テレビで観たことあるかも。……ゆきぼん?そう呼んでるの?」

まだ中学生か高校生か知らないけど、舞台にも立ってる歌舞伎役者だ。

確か、父親が先々代の大名跡の隠し子だかなんだかで、襲名のときにずいぶんと騒がれてたっけ。

「うん。ゆきぼんのお父さんがおばあちゃまのお弟子さんで、『かずちゃん』とか『かずぼん』とか呼ばれてはってん。ゆきぼんは、とーさまのお弟子さん。熱心なイイ舞踊家になりそうやけど……エロいねん。」

……菊乃天人の、この、言葉遣い……。

何とか矯正したいものだ。

ため息まじりに聞いてみた。

「なに?菊乃さんに手を出そうとしてるの?そりゃあ、けしからんねえ。」

からかうつもりも、馬鹿にしてるつもりもなかったけれど、菊乃天人は顔をしかめた。

「……もう。冗談ちゃうんやから。ゆきぼんのしつこさ、……ないわ。……めんどくさすぎるんやから。」

「へえ?」

改めて目を凝らした。

ゆきぼんと呼ばれている中村如矢丈は、父親譲りの端正な美貌の、意欲的に芸に取り組む御曹司だったはずだ。

……エロくて、しつこい……?

イメージじゃないなあ。

こうして遠目で見てても、堂々とした体躯のいい男。

爽やかな和風のイケメンだよ。


ゆきぼんは、僕らとは反対方向へと歩き出した。

……と思ったら、不意にゆきぼんが振り返った。

「げ。」

菊乃天人は絶句して慌てて助手席の足元にもぐり込んで隠れた。

頭を下げても、背中……というか帯が見えてるからヒトがいるのはモロバレなんだけど。