小夜啼鳥が愛を詠う

「たぶん知ってはるわ。……能楽の演目には詳しいんやろ?」

あ……。

やっぱり宗真さんとのこと……バレてるのかな。

もちろん認めないし、スルーするけどさ。



とりあえず、神戸方面でいいか。

再び走り出す。


僕は前方を見つめて、笑顔を貼り付けて返事した。

「どうかなあ。僕は、観に行った回数自体は少ないからねえ。」


……実際、少ないと思う。

宗真さんは、能楽師としてはまだまだま若手なので、同門会や勉強会ぐらいでしかシテをする機会がない。

お稽古してる姿はよく観るけどね。


「ふぅん……。まあ……日舞ではあんましせえへんけど、お能では有名やし知ってると思う。『砧』。」

「きぬた……か。うん、確かに、遊女じゃないねえ。むしろ貞淑に出稼ぎに出て帰って来ない旦那を待つ奥さんだよね?」

そう言ってから、んーと思い出す。

「いや、確かに怖いな。あれ、奥さん、死んじゃうんだよね?旦那が浮気してるって恨んで。……で、幽霊になって夫を責める……。うわぁ……。」

めちゃくちゃ怖いんじゃない?それ。

てか、ばりばり幽霊出てくるし。

「うん。まあ、うちの流派では、幽霊になるところはカットやけどね。恨みをかき口説いて力尽きるところまで。……でもね、その恨みが、くどいの。」

「あー……。」

まさに女の情念全開だな。

怖いわ、それは。

「……他人(ひと)さんの舞台を観るより、演目を勉強するよりさ……、菊乃さんの場合は、憑いてる遊女さんと向き合ってみたほうがいいかもね。」

かつて僕自身がそうしてきたように……。

菊乃天人は、黙って僕を見ていた。

「うまく言えないけど……逃げてても何も変わらないと思うよ?」

重ねてそう言ったら、菊乃天人はうつむいてしまった。


……せっかくのドライブなのに……よけいなこと言うべきじゃなかったかな。



朝一番はスイスイ走れた高速も、今は渋滞一歩手前ぐらいであまりスピードも出ない。

純喫茶マチネに到着できたのは、11時過ぎていた。


ごちゃごちゃした商店街の雰囲気に首を傾げて
「イメージと違う!神戸の近代建築って、山手か居留地だと思ってた。」
と不服そうにつぶやいていた菊乃天人は、店を観てようやく溜飲を下げたようだ。