小夜啼鳥が愛を詠う

それからも、池上さんは折に触れてメールをくれた。

ご自分のシテをつとめる舞台の案内もくださったけれど……東京とか、東北とか、北陸とか……中学生の僕にはちょっと行きにくいところばかり。

結局、最初にチケットを送っていただいた舞台が、僕の初めての観能となった。





受験の1週間前の土曜日。

家でブランチを食べてから、京都に向かった。


久しぶりの京都。

初めての生のお能。

そして、さっちゃんと2人きりのお出かけ。

……僕は興奮のあまり、前夜ほとんど眠れなかった。

遠足はもちろん、空手の大会の日だってこんなことはなかったのに。



でも、それはさっちゃんも同じだったようだ。

明らかに睡眠不足なのに、それでも瞳をキラキラさせて、頬を紅潮させていた。


……これは……まずいかもしれない。

さっちゃんを誘うべきではなかった。

無駄に期待させてしまう。

これはデートじゃない……。



僕自身も楽しみにしていたくせに、僕は自分に言い聞かせた。

さっちゃんは、薫のもの。

さっちゃんは、僕のものじゃない。

さっちゃんは、薫のものだ!


本当は、お能だけじゃなく、少しは京都を案内するつもりだった。

京町家の素敵なカフェにも寄るつもりだった。

でも、それじゃデートになってしまう。

やめよう。

お能を観たら、すぐに神戸に帰ろう。

薫のいる……あーちゃんのいる神戸に……。


僕は、さっちゃんという現実から逃げるために、家族に逃げようとさえし始めたようだ。



阪急の烏丸駅から、地下鉄を乗り継いだ。

地上に出てからは、白川に沿って北上した。

清らかな流れも、柔らかい風も、春の訪れを感じる。

邸宅の塀の向こうから、梅の香りがただよってくる。

「……地元のヒトが通る道?」

さっちゃんの疑問に、僕はハッとした。

「そうかも。……お店が並んでる道のほうがよかったかな。ごめん。」

せっかく来たんだから、女の子の好きそうな和物雑貨とか、画廊が並んでる神宮道を通るべきだったか。

さっちゃんは、慌てて首を横に振った。

「ううん。新鮮。民家もおもしろいし。……あ……。あれ……。」

「うん?……あー、鳥居だね。」

「すごーい!京都、来たー!」

……え……。