小夜啼鳥が愛を詠う

あ。

消えた。

と言うか、シテの中に入り込んだ気がする……。

もしかして、彼のなかに、彼以外の何かがいる?

憑依系?

極々稀に、やはり、自分以外の何かを自分の中に取り込める役者や、宗教者がいるという。

これまで、何度か疑わしき存在を目にしたが、後日、それが精神疾患やアル中、ヤク中によるものだとわかりガッカリしてきた。

でも彼は……もしかしたら……本当に、尸童(よりまし)なのかもしれない。

いや。

能楽師としては若手でも、お父さんと同い年のヒトに童の字はふさわしくないな。

依巫、あるいは憑巫といったところだろうか。

「……千代の影を……守らん……。」

つぶやいて、ハッと気づいた。

もしかして、守られているのは、彼なのか……。



「あ。いた。光くん。……何、観てるの?」

背後から綺麗な声で、さっちゃんが話しかけた。

僕を探していたのだろうか。

振り返ると、さっちゃんの優しいかわいい笑顔。

……たまらないな。

そんなに魅惑的に、ほほえみを振りまかないでほしい。

僕もつらいけど……それ以上に、他の男……薫以外の男に少しも勘違いさせたくない。

「別に。」

多少の苛立ちから、自然発生した笑顔を敢えて引っ込めて、そんな風に答えてしまった。

さっちゃんが戸惑いの表情を見せる。

……ダメだ。

僕の逡巡は、そのまま彼女に伝わってしまう。

これじゃ、いけない。

僕は……さっちゃんを傷つけたくない。

薫から奪うことは絶対ないけれど、さっちゃんへの愛しさも消えないだろう……。

大事な大事な、さっちゃん。

……薫だから譲るんだ。

血を分けた僕のただ1人の弟だから……。



さっちゃんは、弟の奥さん(の予定)。

小門家の、嫁(の予定)。

僕が手を出してはいけない、唯一の存在……。



ふむ。


「千代の影を守らん……か。」

「え?なに?」

さっちゃんが、僕の顔を覗き込む。


……かわいい……。

僕は苦笑して、池上宗真氏の寸松庵色紙を指さした。

「これ。欲しい。今年はコレを入札するよ。どうしても、欲しい。」

さっちゃんは目を見張って、それから色紙を見た。

「……そんなに……達筆には見えないんだけど……。」