程なく、成之さんがやってきた。

「え……」
成之さんは、私を見て戸惑っていた。 
そりゃそうだろう。

会釈すると、成之さんも苦笑されていた。

御院さんは、立ち上がると、深々とお辞儀された。

「お忙しいところ、お時間をいただいて、ありがとうございます。初めてお目にかかります。藤巻と申します。」

成之さんもまた頭を下げる。

「ご丁寧に痛み入ります。小門と申します。……名刺は……よろしいですね。まあ、お座りください。」

再びエプロンをつけたパパは、無言でコーヒー豆を挽き始めた。
ゴリゴリゴリゴリと、手回しでゆっくり……。
芳醇な香りが、広がってゆく。

御院さんが、おもむろに話を切り出した。

「ずっとお会いしたいと思うてました。……玲子さんが40年、想うてはったかたに。」

「……意地と惰性と……情が切れなかっただけで……とっくに私は、見限られてましたが。……私もまた、今から思えば、責任感で彼女を縛り付けてしまっていた気がします。」

成之さんは伏し目がちにそう言った。

まるで懺悔だ。

御院さんは、柔らかくほほえまれた。

「ありがとうございました。玲子さんを支えてくださって。おかげさまで、私は、あんなにも素敵な女性と巡り合わせていただけました。」

「……恐縮の至りで……言葉もありません。」

成之さんは本当に苦しそうにそう言ったあと、意を決したように顔を上げた。

「私の立場でこのようなことを申し上げるのは非常に僭越でお恥ずかしいのですが……どうか、玲子をよろしくお願いいたします。自分に自信がなくて、怯えて、不満をいっぱい言うかもしれませんが、情の深い女です。幸せにしてやってください。」

さすがに土下座はしなかったけれど、成之さんはテーブルに頭がつきそうなぐらい、腰を折った。

「……優しい、あったかいおヒトやと思うてます。私にも、息子にも、ほんまに深い愛情を注いでくれはる……」

まるで別人のような玲子さんの形容詞が、客観的に聞いてておかしかった。

でも、成之さんは悲しそうにほほえんだ。

「……そうですか。……よかった……。藤巻さんのそばでなら、玲子は、なりたい自分でいられるんでしょうね。……ほんまに、ありがとうございます。」

なりたい自分……。
何て素敵なんだろう。

……私も、そうかも。

私の、なりたい自分は、光くんのそばではずっと迷子だった。

でも薫くんといると、素直になれるの。
子供のように、お姫さまのように……自由でいられるの。

薫くん……。
その名前を心で呼びかけるだけで、甘酸っぱい幸せに満たされた。