彼は誰時のブルース



 自業自得なんだろうか。私の生き方は、不誠実だったに違いない。


 人の顔色を伺って、理不尽なことも我慢しなければならない生き方なんて、まっぴらだ。そんな環境を変えたいと、ずっと思っていた。

 でもいつの間にか、抱える劣等感を甘んじて受け入れていた。そんな日々に、現状維持を求めていた。逃げていたんだ。

 高校を卒業したら、この団地から出ていく。きっと私はもっと生きやすくなる。

 多分、今の私がどこに行ったって。劣等感は消えちゃくれない。理不尽を決めつけていたのは、私だった。


『自分らしく、居てほしい』。真剣な目で、私に語りかけるように宇野は言った。


 私らしい、生き方って。なんだろう。

 

「美味いか?」


 父さんがリビングに入ってきた。部屋着に着替えたみたいだ。振り返ることなく頷く。


「紬。母さん、朝はどうだった?」

「…普通だったけど」

「お前さ、なんかあいつ怒らせた?」


 ソファにもたれて父は、母のいないキッチンを睨んだ。


「久々に午後早く帰ってきたら、ヒステリックに喧嘩売ってきたんだ。言いたいこと言って出て行ったんだ、あいつ」


 父が大方、何か気に触ることでも言ったんじゃないだろうか。なんにしろ、私には父の愚痴を聞く余裕がない。


「心当たりないんだよ、更年期のイライラぶつけられたのか、紬への怒りをぶつかられたのか、どっちにしろ勘弁してほしいけどな」


「……さあ」


 曖昧に返すと、私は立ち上がって流しの前に器を持って行った。ゴミ袋に容器を入れて、台布巾をすすぐ。私がソファの方に体を向き直った時、父さんが私を見て目を伏せた。


「進路のことか?」

「…え?」

「喧嘩の種だよ、母さんに何言ったんだ?」



 お父さんの中で、お母さんの家出は私と喧嘩したせいだと結論付けたらしい。


「俺も心配してんだよ、もうすぐ夏休みなのに、予備校とか夏期講習の相談もしないし。大学受かる気あんのか?」


 絞った台布巾でテーブルを拭く。遠慮がちに父さんに聞いた。

「私、予備校行っていいの?」

「当たり前だろ。そういうの、これからは俺に話せ。あいつに言ったって無駄だから。分からないよ、大学行ってないんだし」


 それは、大学行ってない人全てを馬鹿にしていると思う。父さんは高学歴だけど、人を見下すところがある。


「悪いな、両親不仲で」

「……私は特に」

「嘘つけ、愚痴の1つくらいあるだろ」

「勉強するから。そろそろ部屋行くよ」


 父さんの言葉を遮って、台布巾をすすぎに流しに行く。


「お前は母さんに似てんな」

 水を切りタオルで手を拭いていた時、父さんが呟いた。父さんの横顔を見る。


「言いたいこと言えないで溜めて溜めて、ある日爆発する。それで逃げて家出して。手がつかない。宥めるのも面倒だ。日頃から、発散の方法でも覚えときゃいいんだ」

「…やめてよ」


 タオルのほつれた糸を強く引っ張った。父さんは意外そうに私を見た。