蓮の話をすべて信用したわけではなかった。その時まで、宇野が学年中から疎まれていじめを受けている噂なんか、聞いたことがなかったからだ。

 普通そんなに膨れ上がった話を、誰かが話題にしないはずかない。

 でも、私と蓮との会話を、宇野泰斗が電話越しに聞いていたのは事実だろう。仮に蓮がそんな嘘を私についても、なにも利がないからだ。

 学年の一部が宇野泰斗を虐めている。それに蓮も加担して、私のような目立たない生徒でさえも、宇野を嫌っている、と。そう彼に印象付けさせたかったのか。



「……喜べってなにに?」

「宇野が虐められてることに決まってんだろ」


 昔のおどおどした蓮はどこにもいない。人を傷つけて笑う目に、別人を見た気がした。


 毎年、同世代の子が団地から引っ越して行った。階下が味わう、団地の息苦しさを共有する、唯一の幼なじみだった。時々、階下にしか分からない愚痴を言いあう。それだけで、私は…。



「先、帰る」


 それしか言えなかった。蓮の顔を見てられなかった。


「ふうん。じゃあね、田之倉さん」

 蓮は団地と正反対の駅の方に歩いて行く。振り向く気も起きない。背中が鉛みたいに重かった。家路に着く足は重くてしょうがなかった。

 正面の玄関から、最上階を見上げた。灯りがついていた。暫くしてようやく後ろを振り返る。四方八方、団地に囲まれたいつもの代わり映えしないコンクリート壁があった。


 今まで、この時ほどこの街を嫌いだと、感じた時はなかった。変わって欲しくないのに。ちっとも私は変わらないのに。

 街さえ抜け出せれば、私はあと少し、肩の力を抜くことができるのだろうか。


 蓮は、蓮の友達は、宇野をいじめる人たちは。

 怖くないんだろうか。人に悪意をぶつけることに、慣れてしまったんだろうか。


 奥様の手が私の手を弾いた時。あの時抱いた感情は、今もしこりになっている。


「因果応報だよ」


 蓮の声が反芻する。

 彼が嫌がらせを受ける理由は、なに。

 団地の最上階に住んでいるから?

 団地の格差社会の、1番上にいるから?


「違う」

 首を振る。

「立ち位置が…偶々上にいるだけだ」


 私は。

 宇野を疎ましく思う一人だ。理不尽な負の感情を、ぶつけた一人だ。