遠くの砂煙がまるでわたしに対する怒りを表しているようだった。きっとこれから世界中で私に対する怒りが湧いてくる・・・。どうして、どうしてあんなことをしたのか・・・。みんなの血は、わたしの・・・。
「大丈夫。」
彼はすばやくわたしの手をとってぎゅっと握った。
「君は君のことを考えればいい。これは不可抗力だ。お前は大きなことに巻き込まれただけなんだ。」
 彼はわたしの目を見つめてそう言った。
 わたしは目をそらして地平線を見た。
「それでも、引き金を引いたのはわたしなんだ・・・。わたしは、この文明がこれからどうなるのか知りたい。わたしの行為の結果を知りたい。そして、どうやったら文明が崩壊せずにすむのか、それを知りたい。」
「ああ・・・。そうだな・・・。じゃあ、次の旅はどこへ行く?」
わたしはぐるりと辺りを見回した。
 ここならなんでも、なんだって見えた。
「こんな、美しい世界・・・。」
 わたしはぐったりと崩れ落ちた。黒く濡れた石に透明な雫が何度も落ちた。ごめんなさいと何度も謝った。
「おい、おい!」
彼がわたしを何度も立たせようとした。
「いいか、よく聞け。自分のことを考えろ。そうしないと、お前の心は持たないんだ。いいか、いいか、お前の行為には絶対に意味がある!これからの旅でわかるはずだ。必ずよかったと思える日が来る。必ずだ!」
顔を上げると彼は泣いていた。それはこの世界に対する別れの涙だった。
「みんなも、俺たちも変わらなくちゃいけない。このままだとまた同じ繰り返しだ。この文明を背負うのはお前だけなんかじゃない!俺たちも背負うんだ。俺たちも考えるんだ。その第一歩をお前がした!だから後は俺たちに任せるんだ!お前は後は自分のことだけを考えてればいい!わかったか?」
彼はわたしを無理やり立たせた。
「次はどこへ行く?どこへ行きたい?お前は自由なんだ。お前の好きなところへ行けばいい。俺もついていく。」
 わたしは彼を除くすべてを、すべてをシャットアウトした。わたしは目をつぶって答えた。
「あの大きな橋が架かっているところに行きたい。」
「ああ。わかった。なら行こう。休んでるひまはない。もう旅立ちの時だ。」
「どうやって行くの?」
「いま下に降りるのはまずい。引き金を引いたのが誰か、探してるやつが絶対にいる。そいつらに捕まえられる可能性があるから下には降りれない。」
「じゃあどうやって・・・。」
「ここから飛ぶんだ。」
「そんなことしたら」
「聞け。飛び降りるんじゃない。飛ぶんだ。こっちを見てみろ。」
彼はわたしの手を引いて梯子まで引っ張った。
 下を覗くと、梯子に括り付けられたロープの先に、長さ一メートルくらいの真っ黒な紙飛行機の形をしたものがぶらぶらと風に揺られていた。
 彼はロープをたくってそれを引き上げた。
「持ってみろ。風で飛ばされないようにな。」
と彼にそれを手渡された。
「軽い・・・。」
わたしの腕でも軽々と持つことができた。その形は鋭角に尖る紙飛行機そのものだった。軽く頑丈そうな素材でできた真っ黒な太い骨組みが、紙飛行機の縁、手に持つ底の部分、そして中心を通る十字に渡され、その骨組みの上からきめの細かい黒い膜が張られていた。触れると柔らかく、それでいて頑丈そうな膜だった。
 わたしがその紙飛行機を持っている間に彼はロープを回収し、自分の腰に巻き付け始めた。
「まさか、これで飛ぼうっていうの?頑丈そうだけど、二人も乗れるの?」
「乗るというか、ぶら下がることになるがな。なあに、心配いらないさ。万が一落ちても、俺が下になるから。」
「そういうこと言ってるんじゃないの!」
「ほら、お前も巻き付けろ。」
そう言ってロープの端を渡された。今朝使ったあのロープだ。二人であの長い梯子を登ったのが今朝の出来事だなんて考えられない。わたしは紙飛行機を渡し、彼に繋がるロープを自分の腰に強く巻き付けた。
 紙飛行機の手に持つ底の部分あたりにはちょうど掴めるくらいの長方形の穴が開いていて取っ手のようになっていた。彼はロープのもう一方の先をそこに括り付けていた。
「さあ、できたか?」
わたしはうんと頷いた。
「これは短距離用に作られてるからちょっと速いかもしれないが、まあ慣れの問題だ。なに、短距離って言ったって、遠くまで飛べないってことじゃないぞ。」
不安そうなわたしを彼はまあまあと言ってなだめた。
「とにかく大丈夫だ。」
 彼は取っ手に手をかけ、紙飛行機を水平に持ち上げた。
 水平になった途端、さっきまで風に揺られていた紙飛行機が嘘のようにぴったりと動かなくなった。まるでどの方向からをも来る風をすべて切り裂き、その隙間に入り込んでいるようだった。
「すごい・・・。」
「安定してるだろ?さあ、早く俺に摑まれ。」
彼はわたしを見ていた。わたしを待っていた。
 わたしは彼の側へ寄り、思い切り彼に抱きついた。
「じゃあ、行くぞ。せーの!」
 彼がとんと石の床を蹴った。とんと、軽く、彼はわたしをここから逃がした。
 丈夫な紙飛行機は、滑るようにして前に飛び出した。
 一瞬音が消えたあと、紙飛行機はものすごい速さで滑空した。あらゆる方角から呼吸ができないほど荒れ狂う風がわたしたちを襲った。それでも紙飛行機はひたすらそれらの風を切り裂き、張り渡されたロープの上を滑るようにまっすぐに飛んでいた。真下になにもなくても驚くほどの安心感があった。
 ものすごい風を背中に浴びながら、わたしはそっと顔を上げて後ろを垣間見た。
 さっきまでわたしたちが立っていた場所が見えた。本当にこの巨大な塔の頂上だった。中枢区が、あの石の塔がどんどん遠ざかっていく。
「さようなら。」
わたしは再び彼の胸に顔をうずめ、ゆっくりと目を閉じた。
「ありがとう。」
 次の行き先が楽しみだった。たがの外れた好奇心がむくむくとわたしの胸に膨らんでいた。