どうか話しかけられませんようにと願いながら、わずかな隙間を縫って通った。じろじろと脚の部分とかを見られているのがわかった。
ふと、すごくいい匂いがした。焼き豚のような、いい肉の匂い。
思わず振り返って匂いのする方を見てみると、男はサンドイッチのようなものを持っていた。その中に、肉汁がサンドイッチにたくさん染み込むほどジューシーな肉が挟まっていた。
立ち止まるわけにもいかないから、髪を引かれるようにしてそのまま俯いて進もうとした。
そこでさっきちらと映ったものにはっとして、もう一度右手を振り向くと、そこにはコンビニがあった。
店の幅いっぱいにとった看板は大きく斜めにずれていて、工事のせいか店も看板も土埃を浴びてくすんでいた。黄色いネオンで書かれた店の名前はよくわからない英語で、ローソンとか、ファミリーマートとか、そのへんの類ではないことは明らかだった。
男たちはそこで昼ごはんを買ったのだろうと思い、空腹でじっとしていられなくなったわたしは思い切って男たちの隙間を縫い店の中に入った。
「いらっしゃいませー。」
髪の毛がくりくりでぼさぼさのおばさんと、茶髪のけだるそうな顔をした若い男がカウンターに立っていた。
 店の雰囲気はローソンとかファミリーマートと同じ類で、コンビニそのものだった。
 ふと後ろを振り返ると、外の男の一人がわたしのほうを指さしてにやにや笑いながら他の男になにか言っていた。
 すごく怖くなったので、食べ物をすぐに買って出ることにした。スカートのポケットを手で触り、小さい財布が入っていることを確認した。
 サンドイッチやおにぎりを売っている棚に行って、さっきのいい肉の匂いのしたサンドイッチを探した。
「ん?」
一つを手に取って、よく眺めてみる。なんだか、普通のコンビニで売るサンドイッチと違う気がする・・・。
 パッケージはもちろん、よく知らないところだったし、具材が、特に具材が、なにかヘンなような、なにか、見慣れないような・・・。
「成分」と書かれた欄を見ると、聞いたことのない豚の種類が書かれていた。
 急になにかに囲まれている感覚がした。知らないものに、気づけばたくさんに囲まれている・・・。他のサンドイッチの「成分」も、全く知らない食べ物が羅列されていた。豚だけじゃない。野菜と思われるものも、なにもかも、聞いたことのないような名前ばっかりだった。
 手に取ったサンドイッチを乱暴に棚に戻し、おにぎりコーナーを見た。
 さあっと、鳥肌がたった。
 おにぎりのパッケージの中心に、見たこともない具材ばかりが表記されていた。梅、だとか、鮭、だとか、そんなものは一つもない。
 カウンターを振り返ると、二人とも各々で何か作業をしていて、わたしを気にしているような感じはなかった。
 外の男たちのことは頭から飛んで、わたしは他の商品を漁った。
 お菓子類は見たことのあるものが多かった。ただガム類は全く知らない、気味の悪い色をしたものや、いつも見るのとは全然違うパッケージやらがたくさんあった。雑誌類を見たときは目がくらんだ。女性用がないのはわかるにしても、みたことのない雑誌ばかりだった。街の紹介、いい店いいスポットの紹介の雑誌なんかもなく、聞いたことのない出版社で、へんてこなタイトルで並んでいた。ためしにと思って手を取ってみたら、ちゃんとテーピングがされて立ち読みできないようになっていた。
 そろそろ出ないと怪しまれると思い、サンドイッチコーナーから、あのジューシーな肉が挟まったものと、ジュースコーナーから適当に、見たことのないフルーティーなジュースを選んでカウンターに持って行った。
 合計で六十円だった。
 店から出ると、男たちはもういなくなっていた。お昼が終わったんだろうか。
 再び歩き出しながら、買ったばかりのサンドイッチの袋を開け、一口齧ってみた。
 口の中であの匂い、ジューシーな肉の匂いとそして肉汁がじわーっと広がった。
 それはそれは美味しかった。予想以上の美味しさだった。歩きながら必死でかぶりついた。こんなにおいしい肉、いやサンドイッチを食べたのは初めてだった。最高に柔らかくて、でもとにかくジューシーだった。それがサンドイッチのパンと絡んで・・・。
 あまりのおいしさに目をチカチカさせながら、わたしは例のジュースに手を伸ばした。
 よく見るペットボトルに、全然見ないラベルが貼られ、でもすごくカラフルなフルーツの匂いがあふれ出てくる。キャップをひねるとより濃い匂いがどっとあふれ出た。
 ちょっと恐かったけれど、そのまま口へ流し込んだ。
 また目がチカチカして一瞬前を見れなくなった。なんて美味しいんだろう!舌全体にちりちりと広がるフレーバーな香り。甘すぎず濃すぎず、舌の上でジュースがとろけた。味わったことのないフルーツの味がたくさんして、それら全部が美味しかった。
「うまい!」
ペットボトルを抱え、サンドイッチを手に持ちながら誰にともなく叫んだ。
 見たことのない具材や出版社や、異常に安い値段のことなんて、ぱちんと頭から消え失せた。

 陽が少し傾きつつあった。暖色が強くなる西日は嫌いだった。一日の終わりを強制されるような圧迫感がある。
 その圧迫感に押されて、わたしは少しずつ焦り始めていた。
 いったいどこまでわたしは行くんだろう。単純な疑問が頭の中を巡り始めていた。すぐ近くに見えた新天地のビルたちは、一向に近づく気配がなかった。歩いても歩いても、延々と同じところを歩かされているような気がするくらい、ちっとも近づいた感じがしない。お昼前には、だいたいあと少しで着くだろうと思ってたのに・・・。
 急に疲れが押し寄せてきて、工事現場の隅にしゃがんで休憩した。新天地の漆黒のビルは昼前に見たときと変わらない大きさのような気がした。
 このまま陽が落ちるとまずい。今すぐ引き返しても、家に帰ることにはもう真っ暗だろう。この季節はまだすぐに陽が落ちるのに・・・。
「なに馬鹿なことやってんだろ。」
 そうだ。いますぐ帰らなきゃ。帰って晩御飯の支度をしないと。そしてテレビを見て、晩御飯を食べて、お風呂に入って・・・。
 わたしは立ち上がった。脚に疲労がだいぶ溜まっていた。何度か脚を折り曲げてほぐしてから、わたしは再び歩き出した。
 誰もいないあんなところに帰るなんてもういやだ。
 以前より増して速く歩いた。陽が落ちる前に目的地に到着したかった。その目的地がどこかもいまのわたしにはわからないけれど・・・。
 早歩きだったはずが、気づけば駆けていた。早く、早く。陽が重力によってだんだん落ちるスピードが速まっていく。
 あたりは工事現場しかなかった。駐車場も、広い道路もなくなっていた。仮設事務所がひしめき合う中、細い、砂利が敷かれた網の目のように広がる通路を、ひたすら頭の中で瞬時に湧き上がるあの白いピースを頼って走って行った。時々作業服を着た男たちとすれ違って、走る私を不思議そうに眺めていた。
 暗くなるにつれて、頭の中の白いピースはより輝きを増していった。それとも、だんだん目的地に近づいているからかもしれない。どちらにしろ、だんだん暗くなりゆく中で、心細さを必死に温めてくれる存在になっていた。
 走りながら、あのトイレで見た新天地を思い出していた。わたしはいまどのあたりを走っているんだろう。あの景色の、どのあたりにいるんだろう。なんで昼の時にあんなにゆっくりと歩いていたのか、自分に腹が立ってきた。最初からもっと急いでおけば、ここに着いた時はまだ昼ごろだっただろうに。
 数時間前のたらたらした自分に舌打ちしながら、再び湧いてくるピースに従って角を右に曲がった。
 どん、と誰かにぶつかった。
「すいません!」
反射的に謝りながら、予想以上の衝撃に体がよろけ、がしゃんと大きな音を立ててそばのフェンスにぶつかった。
 もう一度すいませんと謝りながら相手を見ると、白いヘルメットを被った男が二人、一人はじっとわたしを見て、もう一人のぶつかった相手は驚いた顔をしながらもわたしを見てすぐににやつきだした。
 ぶつかった男の左腕の腕章には現場監督者と書かれていた。隣の男よりもだいぶ歳が上で、にやついた口の間からは何本か歯が抜けており、弛んだ顎の皮が何重もの皺を作っていた。
 まずい、と全身で感じた。にやついたその顔だけで、全部がからめとられそうな気がして悪寒が走った。