何かを示しているような真っ白なジグソーパズルのピースが頭の中にだんだんと現れ、目の前の道がすっと開けた気がして目が覚めた。
 朝の白い光に目を細めながら、わたしはゆっくりと起き上がった。
 今日は土曜日。会社は休み。なにもかもがお休み。別段すべきこともなく、したいこともない一日。
 なのに今日はさっきの夢のせいで、外に出なきゃいけない羽目になった。
 やれやれと思いながら、顔を洗い、歯を磨き、その他めんどくさいことをいろいろとこなして、出かける前に部屋を振り返った。
 簡素な部屋。白い部屋。白いベッドに、白いレース。白い机。なんにもない部屋。大好きな部屋。さみしい部屋。
 最後に鏡の前に立ってわたしと向き合った。黒い髪に地味な顔。地味な服。
 なんの色も持たない。
 まあいいやと思って、とりあえず、外に出た。
 冷たい空気の中に、もう春の匂いが芯に閉じ込められている。もう少しで春。なんにもない、それでも好きな春。
 わたしは夢の中に浮かんできたあいまいな形のジグソーパズルを思い出しながら、階段を下りて外の道に出た。
 べつに、ジグソーパズル自体が、どうということはなく、ただ、なにもなかったはずなのに、そこから白い形あるジグソーパズルが現れたことが、わたしにとって不思議な気持ちだった。なにもないのに。形あるものが現れたことで、わたしの行き先の、ほんの数歩ぶんだけ、歩く場所を与えられた気分だった。
 さて、夢のジグソーパズルは、どの道を指していたのだろう。こっちの方か?反対か?
 頭の中にさっき夢で見た光景を思い出す。なにもないところから、現れる・・・。
「こっちだな。」
 わたしは右へ曲がった。
 夢で方向を指し示したピースはもうこれで終わりだった。夢で教えてくれたことはこれぐらいだけだった。あとはこの瞬間にも、またさっきのように、新しいジグソーパズルのピースが頭に現れてくれるのを待つだけだ。
 てくてくと歩いていくと、また分岐点にぶつかりそうな場所が近づいてきた。頭のなかにふわっと、別の形をしたピースが現れた。
 そのピースを追うようにして、わたしは左に曲がった。

 気づけばもう知らない場所にいた。わたしがこれまで行ったことのない場所にいた。それでも道の分岐点が来るたび頭の中で新しいピースが現れてはわたしを誘導した。
 いったん足を止めて、さっきから向かっている方角のはるか先を見やった。
 そこは新天地と呼ばれる、高層ビルがひしめき合う場所だった。
 わたしの頭の中のジグソーパズルは、どうやらそこへ向かわせようとしているみたいだった。わたしは新天地へ行ったことはない。行きたくもなかった。異常な密度で超高層ビルが密集した場所。いまだに成長を続け、わずかな隙間に工事用の道具がひしめき合う。地上付近は上空から降ってきたゴミがたまりにたまり、そのゴミに隠れてたくさんの人間がたくさんの事をしている。
 どこからだったか、誰からだったか、わたしたちはあそこをそんな風に聞いていた。
不思議なことに、新天地という場所に興味を持ったことすらなかった。会社の人間もそう。毎日毎日、誰かの話や誰かのことでみんな頭がいっぱいいっぱいだった。
でも、と思う。もしかしたら、私が望んだことなのかもしれない。こんなところから抜け出したいって。頭の中のジグソーパズルは、結局はわたしが作り出しているのかもしれない。
あの日を思い出す。重く黒い雲が空一面を覆っていたあの日。会社にどうしても行きたくなかった日。それでも行った、あの日。
トイレから見た新天地が、墓標のように突き出たたくさんの黒いビルたちが、とても美しく、そしてわたしを誘っているように見えた。
はあ・・とため息をついてまた分岐点を曲がった。
街並みは少しずつ変わりかけていた。賑やかな風景、落ち着いた風景、それらが終わり、寂しく、暗く、そして危険なにおいのする地区へと入っていった。
いまや新天地はすぐ近くに迫っているようだった。文字通り、たくさんの、予想以上のたくさんのビルたちがわたしに迫ってきているようだった。そして黒い。ビルはどれも全て漆黒の石か何かでできているような、わたしが毎日通うあの会社とは異質な、別世界の物質でできているような気がした。
地上からは小さく見えるたくさんの窓から、白い光がずらっと漏れていて、ここだけ一日中、いや永遠に夜が続いているような気がした。
ふと後ろを振り返ってみると、遠くまで人ひとりいなかった。前を向いてみても誰ひとりいなかった。
戻るなら、今しかないと思った。そう思って体を翻すと、頭の中のジグソーパズルのピースがとたんにふやけてしまった。危ないと思ってまた前を向くと、ふやけたピースがとたんに乾いて元通りに戻った。
あのトイレから見た新天地を思い出した。
あの日、なんの色も持たない、なにもできないわたしを誘った新天地を。
さみしいけれど、こわいけれど、前に進むしかない。もうわたしはどうなってもいい。
それからは大きな道を延々と歩いた。特に分岐点もなく、だだっぴろくくすんだ道を歩いた。誰ともすれ違わなかった。
少し前から聞こえていた工事の音がだんだんだんだん大きくなっていた。空を見上げると太陽はまだ頂点に届いていなかった。お腹が急に減ってきた。
コンビニなんてありそうもなかった。あたりは事務所や、建設現場や、駐車場くらいしかなかった。
わたしは歩き続けた。
工事の音がだんだんと大きくなり今や耳をふさぎたくなるほどになっていた。あたりには巨大な柱が何本も建ち、それらの間にネットが張られ、中で切断したり、溶接したりする音が聞こえる。
ふと、こんなにも巨大で、そして目立つ場所なのに、なぜ、いままで無関心でいられたのか不思議に思った。小さい頃からあった新天地。いつも目の端に映っていたはずの新天地。なのになぜか、それらに関する記憶が全くない。行きたいとも思わなかった。なんの情報も、あの頃の大人たちも、そういえば何も話さないし、教えてくれなかった。気づけば、新天地という場所を、単に知っていた。
それなのに、こうして朝起きてまっすぐ向かっている。
無性に、非常によくないことをやっているんじゃないかと思った。ヤバイこと。頭の中のピースたちが、白い悪魔のように思えてきた。わたしは、なにかよくないものにとり憑かれているんじゃないだろうか?
でも足は止まらない。止めたくない。そうとわかっていても、止められない。

途中何度か道を折れると、たくさんの男たちが道路に座っていた。みんなくすんだだぼだぼの作業服を着て、なにか食べ物を手に持ちながら談笑していた。
あまりにもたくさんいて、道のちょうど真ん中ぐらいしか通れる幅がなかった。
途中で一人の男がわたしに気づき、それにつられて、いろんな男がわたしをじろじろと見だした。わたしは俯いたまま、だんだんとそいつらに向かっていった。