オートレースの真似事に熱中した僕らだったが、一時は参加者が20名を超えるとともに学年が上がるにつれ、勉強や習い事、野球やサッカーなど個々に一身上の都合で一人抜け、また一人抜け自然とチャリンコオートレースは無くなった…
僕もその中の一人であって、4年生の終わりには地元の少年野球チームにチャリンコオートレースを最初からやっていたメンバー共々在籍してしまったために自然に無くなったというよりも、僕らが野球を始めたのと同時に残されたメンバーもチャリンコオートレースの主力を欠かれやる気を失ったのが本音のようだ…
熱中するものがチャリンコオートレースから野球に代わり6年生になるまでは試合には出場機会はなく、球拾いの毎日だったが僕が在籍していたチームは県内では強いらしく試合の度に上の学年の応援を余儀なくしていたが、本音は“早く引退しやがれっ”が本音で早く6年生になってレギュラーになって試合に出たかったし、練習でも最高学年にしか出来ない監督のノックを受けたいし、バッティングだってやりたかった。
そして、ようやく6年生が秋に引退し、僕ら5年生がチームの最高学年となるのだが、約一年ぶりくらいだろうか、僕らの練習する脇で忠男君が練習風景を眺めていた。
僕もその中の一人であって、4年生の終わりには地元の少年野球チームにチャリンコオートレースを最初からやっていたメンバー共々在籍してしまったために自然に無くなったというよりも、僕らが野球を始めたのと同時に残されたメンバーもチャリンコオートレースの主力を欠かれやる気を失ったのが本音のようだ…
熱中するものがチャリンコオートレースから野球に代わり6年生になるまでは試合には出場機会はなく、球拾いの毎日だったが僕が在籍していたチームは県内では強いらしく試合の度に上の学年の応援を余儀なくしていたが、本音は“早く引退しやがれっ”が本音で早く6年生になってレギュラーになって試合に出たかったし、練習でも最高学年にしか出来ない監督のノックを受けたいし、バッティングだってやりたかった。
そして、ようやく6年生が秋に引退し、僕ら5年生がチームの最高学年となるのだが、約一年ぶりくらいだろうか、僕らの練習する脇で忠男君が練習風景を眺めていた。
