忠男君はそれから僕らの練習に毎日参加するようになり、しまいにゃど素人のくせに、僕らがエラーしたり三振すると
「なんしようとね、情けないっ」
なんて、コーチのような発言をするようになり、日々発言もエスカレートし、忠男君と出会ったばかりのときのように、うっとおしくなったこともあったのだが、良いプレーをすれば一番喜んでくれるのは監督でもコーチでも親でもなく、忠男君であって僕らの中ではうまい具合に中和されていた。
僕らの時代でも、そこそこ強く遠征もしばしばあったが常に忠男君はかけつけた。
試合の応援では最初こそ応援に来ている保護者に交じって応援しているのだが、あまりの応援に周りの保護者は一線を置いていたようだが、間にヒロシ君のお父さんがいたためにすぐに、周りからも“忠男君”と呼ばれるようになり最後には応援団長のような存在であって、どこで、どんな風に手に入れたかしれないが、僕らの着ているユニフォームと同じものを着用していて、いつも大はしゃぎしていた。
恥ずかしくもあったが微笑ましくもあり、忠男君が喜んでくれるならって気持ちでプレーしていたのは僕だけではなかったはずだ。
だけど忠男君が急に練習に来なくなったんだ…
「なんしようとね、情けないっ」
なんて、コーチのような発言をするようになり、日々発言もエスカレートし、忠男君と出会ったばかりのときのように、うっとおしくなったこともあったのだが、良いプレーをすれば一番喜んでくれるのは監督でもコーチでも親でもなく、忠男君であって僕らの中ではうまい具合に中和されていた。
僕らの時代でも、そこそこ強く遠征もしばしばあったが常に忠男君はかけつけた。
試合の応援では最初こそ応援に来ている保護者に交じって応援しているのだが、あまりの応援に周りの保護者は一線を置いていたようだが、間にヒロシ君のお父さんがいたためにすぐに、周りからも“忠男君”と呼ばれるようになり最後には応援団長のような存在であって、どこで、どんな風に手に入れたかしれないが、僕らの着ているユニフォームと同じものを着用していて、いつも大はしゃぎしていた。
恥ずかしくもあったが微笑ましくもあり、忠男君が喜んでくれるならって気持ちでプレーしていたのは僕だけではなかったはずだ。
だけど忠男君が急に練習に来なくなったんだ…
