Please be absorbed in me



***

「ここまでで分からないところはありますか?」

「…ありません」


分かりやすい、なんてものじゃない。

ちんぷんかんぷんだった英文が、今では簡単なものだったかのように思えるほどだ。


(学校の授業いらなくなりそう…)

「真琴様は飲み込みが早くていらっしゃる」

「浩人さんの教え方が上手なんです」

「それは光栄です」


分からないと言って見せた英文を目で追って、すぐに解説を始めた浩人さんに驚きしかなかった。

外国の大学に通っていたというなら、きっとネイティブの人のように、スラスラと英文を読めてしまうのだろう。

私が今から全力で英語を勉強したとして、浩人さんと同じくらいのレベルに到達するのに何年かかるか分からない。

浩人さんへの距離が、また1つ遠ざかったように感じた。


「では、続きですね」


その言葉に意識を引き戻されて、慌てて目線を文章へと向ける。

遠ざかるもなにも、そもそも遠い人だ。
そんなこと分かりきっている。
今日だけで、嫌と言うほど思い知った。


***

「他に質問はよろしいですか?」

「はい、ありがとうございました」


隣に座っていた浩人さんに体を向け、深々と頭を下げた。

自然と向き合う形になって、それが思っていたよりも近くて、私は少し椅子を引いて距離を取る。


「また分からないものがあれば、いつでもどうぞ。英語以外でも構いませんよ」

「ありがとうございます」


もう一度お礼を言って、私は浩人さんに気づかれないように、ひっそりと長い息をついた。

浩人さんの言葉は素直に嬉しいし、教えてもらえるのは本当に助かる。

けれど、2人きりになるのは控えたい。

一緒に過ごす時間が長ければ長いほど、自分の気持ちを隠せる気がしない。

浩人さんとの間に距離を感じて、その遠い距離を悔しいと、釣り合うようになりたいと思うくらいに、浩人さんのことが好きだ。

でも、それを言葉にはできない。
私には、浩人さんの隣に並び立てる自信がない。

それなら、浩人さんと接するのは浩人さんの本来の仕事の間だけにして、こういった2人だけの時間は減らした方がいい。


(なんて思ってるくせに、今、浩人さんが敬語なのが寂しいとか…完全に矛盾してる)


自分に自信があって、浩人さんの隣に立てると思えたら、この気持ちを打ち明けられるのだろうか。

そんな自信、どうやったら手に入るのだろう。


(ああ、もう。頭ぐちゃぐちゃだ…)


「真琴様?」

「あ…はい、なんですか?」

「…いえ、心ここに在らずだったのでどうなさったのかと。何かありましたか?」


ぎく、と心臓がはねた。

やらかした。
本人の前で考え込むなんて、それこそ何やってるんだろうと自分に呆れる。


「いえ、大丈夫です」

「本当ですか?遠慮なさることはありませんよ?」

「本当に大丈夫です」

「本当に?」


優しい声のまま、浩人さんの口調が突然変わった。


「無理してない?」


さっき私が椅子を引いて空けた距離を詰めて、浩人さんがこちらを覗き込んでくる。


(なんで、今、“浩人さん”になるの…)


余計に頭がぐちゃぐちゃになる。

不意打ちはずるい。

ぎゅ、と胸が痛くなって、苦しくて、それを誤魔化すように首を横に振った。


「無理なんてしてません。…なんで、いきなり話し方変えるんですか」

「こっちの方が打ち明けやすいかと思って」

「…何もありませんよ」

「そっか、それならいいんだ。……では、何かあれば、すぐにおっしゃってくださいね」


また突然に変えられた口調に、もう訳が分からなくなって、思わず、近いところにあった浩人さんの服を掴んだ。