「真琴様、お座りください」
後ろから声をかけられて、椅子が少し引かれた。
私は動けなかった。
状況を整理できていないまま、頭は先ほどのお祖父様との会話を繰り返し思い浮かべる。
“元よりそのつもりだろう?”
“はい、おっしゃる通りでございます”
「どういう意味…?」
「そのままの意味でございますよ」
私の隣に来た浩人さんが、覗き込むようにして顔を近づけてきた。
近づいてきたきれいな顔に思わず後退りして、浩人さんから距離を取ってしまう。
そんな私の行動を見て、浩人さんは少し悲しそうに笑った。
今までの笑顔とは違うその表情。
(なんで、そんな顔するの?)
「忘れてしまいましたか?」
浩人さんは、私に向けて手を差し出す。
その仕草にどこか懐かしいような感じがして、胸が切なくなった。
「ずっと前から、真琴様のことを知っています」
「え…」
「小さい頃、よく遊んだでしょう?」
目尻を下げて優しく笑うその顔に、差し出された手に、記憶の奥底から“それ”浮かび上がってきた。
「ひろお兄ちゃん…?」
「おや、覚えていらっしゃったのですね」
「今、初めて思い出しました…」
嬉しそうな表情をする浩人さんとは裏腹に、私は戸惑いとぶり返した記憶に頭がパンクして、苦笑いを返す。
そうだ。なんで今まで忘れてたんだろう。
小さい頃、両親が仕事でそろって不在にするときは、ここに預けられていた。
でも、お祖父様の広いお屋敷とお庭で小さい子が1人で遊ぶのは迷子になるからと、私はひろ兄ちゃんと遊ぶことが多かった。
どんな遊びをしていたのか具体的には思い出せないけれど、不思議と目の前の浩人さんが、あの頃大好きだった優しいお兄ちゃんと重なる。
ずっと昔に知っていた人だ。
「なんで、最初に言ってくれなかったんですか?」
「真琴様は幼かったので、覚えていなくても当然かと」
一度思い出してしまえば、そこから小さい頃の記憶が次々に溢れてきていた。
やわらかく緩む目尻が懐かしい。
今まで忘れていたのが不思議なくらいに、心の奥の方があたたかく、あの頃を愛おしく感じる。
(ひろお兄ちゃん)
心の中でそう呟くと、あの頃に戻ったような気分になる。
色々と話したいことが頭に浮かんで、私は浩人さんを見上げた。
「ひろお兄ちゃんと思い出話、したいです!」
「かしこまりました」
目尻を緩ませて笑った浩人さんの表情は、幼い私が私が好きだったもの。
「ですが、まずは朝食をお召し上がりください。話はその後にゆっくりいたしましょう」
「はい」
忘れかけていた箱から溢れ出た思い出と、少しの混乱で思考がふわふわとしている。
ご飯を食べてる間に落ち着かせよう。
そう考えながら席へ座り直して、浩人さんが淹れてくれた紅茶を一口飲む。
(あれ?何か忘れてる気がする)
紅茶のすっきりとした味に目が覚めたような気がして、はた、と我に帰る。
(その前にしてた話の流れって…)
“浩人さんのこと好きになるかもしれませんよ?”
“浩人は元よりそのつもりだろう?”
“はい、おっしゃる通りでございます”
(………お祖父様にした耳打ちの内容、浩人さんにも聞こえて…?え、耳良すぎない?)
もしかして、昨日の恋人繋ぎとか、腰に手を添えるエスコートとか、執事としてじゃない?
(え、え…)
ティーカップを持ったまま硬直して、頭が余計にぐるぐるとなって、私の頭は余計なことを思い出してしまう。
(…私の初恋って、浩お兄ちゃんだった)
「真琴様?」
「は、はい…」
どうしよう。
本当に、なんで今まで忘れてたんだろう。
思い出してしまえば熱が再発するのは早い。
「かわいらしい顔をしていないで、食べてくださいね」
「…っ!」
ぎくしゃくとしている私に、浩人さんはクスッと優しい眼差しで笑う。
私に執事はいらないというお祖父様への訴えは却下されてしまった。
浩人さんが、初恋の人が、これから私の執事。
(私はこの先、ここで生活していけるのかな…)
いろんな感情がごちゃ混ぜになって、心臓が早鐘を打っている。
私は少しでも気持ちを落ち着かせたくて、一度深く深呼吸をしてから、並べられているフォークに手を伸ばした。

