恋は天使の寝息のあとに

「ねえ、沙菜。お願いだ。
最後に、心菜を抱かせてくれないか」

私は頷く。今の翔になら心菜を預けても平気だと思えた。

ひとり大人しく遊んでいた心菜を抱きかかえ、翔の元へ連れていった。
翔はそっと優しく抱き上げて、きょとんとする心菜を穏やかな瞳で見つめる。


「やっぱり、あまり父親という感覚がないな。
産まれたときから一緒にいれば、違ったのだろうか」

後悔するように、翔は瞳を曇らせて、心菜をじっと見据える。

「不甲斐ない父親ですまなかった。
せめてお前が幸せになれるように、祈ってる」

その言葉はあまりにも悲痛で、私は目頭が熱くなった。

もしもあのとき、不運が重なっていなければ、今と違う結末を迎えていたのだろうか。
翔の仕事が大変じゃなかったら、私のつわりが酷くなければ、彼を苦しめていたあらゆるものが少し違った形をしていたら。
翔は心を病まずに、浮気も暴力もせず、私たちは家族のまま、ずっと一緒にいられたかもしれないのに。

翔は最後に心菜を愛おしそうに瞳へ焼き付けたあと、ゆっくりと地面へ下ろした。

「あとは、頼む」

そう告げて私に背を向ける。


「私が責任を持って心菜を幸せにするから!」

私の言葉に、翔は一瞬立ち止まって、けれどもう振り返ることはしなかった。

「……君なら、そうしてくれるって、信じてる」

最後にそう言い残して彼は部屋を出ていく。
しばらくしてから玄関の扉の閉じる音が聞こえ、彼が去ったことを知った。