恋は天使の寝息のあとに

いたたまれない表情の私を横目で確認した恭弥が、翔へ祈るように語りかける。

「本気で沙菜を愛してるなら、もう――」

「分かってますよ。身を引け、でしょう?
……今さら説得なんてどういうつもりですか。
訴訟を起こすだの、警察呼ぶだの、散々強引に脅したくせに」

魂が抜けたように、ゆらりと力なく立ち上がる翔。
フラフラとした足取りで私たちの横をすり抜けて部屋を出て行こうとする。


「――消えればいいんだろう。君が望む通りに」

「……翔!」

私がその背に声をかけると、翔はゆっくりと振り返った。

「……何、引き止めてくれるの?」

その表情は暗く翳り、世界の終焉みたいな影を背負っていた。
私は何も言えなくなって、彼を見つめたまま押し黙る。そうさせたのは私なのだから。
なにかしら口を開こうとする私を遮って、彼が陰鬱に笑った。まるで、自嘲するみたいに。

「分かってる。元はといえば、全部自業自得だから。
君に手を上げたのも、浮気したのも、僕がこんな性格なのも。
こんな僕を選んだのは、君の失敗でもあるけどね」

くすりと小さく笑った翔は、目線を心菜へ向ける。

「血の繋がった娘すら幸せにできないなんてなぁ……」

悲哀を含んだ眼差しに気づかされた。
私の選択は、彼を実の娘から引き離すことになるんだ。

「翔、ごめんなさい……私……」

「そんな顔しなくていい。正直、娘だという実感はあまりないんだ。
それは僕が『父親』という役目から散々逃げてきたからなのだけれど。
失くした一年半分を今さら取り繕うなんて、無理な話だったんだね」

「……それでも、翔は努力してくれてた」

「……ありがとう」

翔は柔らかい笑みを浮かべた。
その笑顔は出会った頃を思い出させるものだった。
やっと私の知る彼に会えて、少しだけホッとした。