恋は天使の寝息のあとに

恭弥はもう一度はっきりと宣言する。

「沙菜と結婚して、あんたの代わりに俺が心菜の父親になる」


翔は中指で眼鏡の中心を押し上げながら、苦悶の表情を浮かべていた。
彼の価値観の中では、私たちの関係は――兄妹で恋愛関係になるなど――不適切で処理しきれなかったらしい。

とはいえ、『結婚する』と、さも当たり前のように言い切った恭弥に驚いているのは翔だけじゃない、私も同じだった。

確かにあのとき、水族館の帰り道、車の中で、結婚するか? と聞かれた。
愛のないプロポーズ。適当にからかっているだけだと思っていた。
本気でそんなことを考えているわけがないって。

そして夕べの言葉。

――ずっとそばにいる――
――俺の人生全て捧げる――

感覚的な話だと思っていた。今と変わらず、ずっと一緒だよ、と――

なのに。
まさか本当に、結婚するつもりなの……?

彼がどこまで本気で言っているのかわからない。
ひょっとしたら、翔を諦めさせるための作戦かもしれない。
あとで本人に聞いてみたら、「あんなのはったりに決まってるだろ」なんて言われるかもしれない。

私が見上げた彼の横顔からは、真意をうかがい知ることはできなかった。


息苦しい沈黙を切り裂いて、恭弥が翔へ問いかける。

「さて、どうする? あんたが身を引いてくれないなら、それこそ法律に訴えてもいい。裁判でも何でも、出るとこ出てやる。
もとはと言えば、離婚した原因はあんたの浮気と暴力だからな。どうやったってあんたは勝てない。
下手したら慰謝料と養育費も請求される」

高らかに言い放った恭弥に、翔の表情がいっそう厳しくなる。
敵意むき出しの目を向けられるも、恭弥は涼しい顔を崩さない。

「それとも、DVやストーカー被害で警察に届け出てやろうか?
無駄な問題は起こしたくないだろ。
あんたの過去を思えば、沙菜だけじゃなく別の女性にも同じような暴力を振るったことがあるんじゃないのか?
前科があったら洒落にならないな」

「そんなものはない!」

「……冗談だよ。そんなにむきになっちゃ、逆に疑わしいぜ」

恭弥がニヤリと意地悪く微笑んだ。
冗談にしては、随分と酷いブラックジョークだ。明らかに脅しが入っている。