「ん」
恭弥は台所から持ってきたガーゼと温かいお湯を里香さんに差し出す。
「ああ、ありがとう……」
里香さんは心菜の鼻と唇の傷を、かさぶたを剥がしてしまわないように、そおっと丁寧に拭き取った。
「これでだいじょうぶ。しばらく様子を見てあげて」
里香さんはゆっくりと立ち上がると、足元に置いてあったバッグとジャケットに手を伸ばした。それを見た恭弥が彼女の元に歩み寄る。
「帰るのか?」
「うん。もう遅いし」
「送ってく」
「結構よ。二人のそばにいてやって」
「……だけど――」
「大丈夫、帰り道くらい覚えてるわ」
「よく言うよ。方向音痴のくせに」
そう言って恭弥が里香さんの手首を掴んで引き止めた。
恭弥から、彼女に触れた――。
どきりとして、なんともいえない嫌な気分が私の心の中を占拠する。
過敏に反応してしまった私とは反対に、彼女は顔色一つ変えず、さらりとその手を振り払った。
「昔の話でしょ。もうあの頃とは違うんだから」
そう言って恭弥を突き放した里香さんは、長くて艶やかな髪をふんわりと揺らしながら部屋を出て行く。
昔は、里香さんのお見送りが恭弥の仕事だったのだろうか。
彼女の言う『あの頃』が、一体いつのことで、何があったのかは分からない。
高校の同級生だった頃だろうか、卒業して別々の道に進学した頃だろうか、大人になって就職した頃だろうか。
いずれにせよ、私が想像もつかないような長い年月を、恭弥と里香さんは共有していて
私とは比べ物にならないくらいたくさんの思い出で繋がれていて
かなわないな、と素直に思った。
恭弥は、私なんかが縛り付けてちゃいけない人だ。
恭弥は台所から持ってきたガーゼと温かいお湯を里香さんに差し出す。
「ああ、ありがとう……」
里香さんは心菜の鼻と唇の傷を、かさぶたを剥がしてしまわないように、そおっと丁寧に拭き取った。
「これでだいじょうぶ。しばらく様子を見てあげて」
里香さんはゆっくりと立ち上がると、足元に置いてあったバッグとジャケットに手を伸ばした。それを見た恭弥が彼女の元に歩み寄る。
「帰るのか?」
「うん。もう遅いし」
「送ってく」
「結構よ。二人のそばにいてやって」
「……だけど――」
「大丈夫、帰り道くらい覚えてるわ」
「よく言うよ。方向音痴のくせに」
そう言って恭弥が里香さんの手首を掴んで引き止めた。
恭弥から、彼女に触れた――。
どきりとして、なんともいえない嫌な気分が私の心の中を占拠する。
過敏に反応してしまった私とは反対に、彼女は顔色一つ変えず、さらりとその手を振り払った。
「昔の話でしょ。もうあの頃とは違うんだから」
そう言って恭弥を突き放した里香さんは、長くて艶やかな髪をふんわりと揺らしながら部屋を出て行く。
昔は、里香さんのお見送りが恭弥の仕事だったのだろうか。
彼女の言う『あの頃』が、一体いつのことで、何があったのかは分からない。
高校の同級生だった頃だろうか、卒業して別々の道に進学した頃だろうか、大人になって就職した頃だろうか。
いずれにせよ、私が想像もつかないような長い年月を、恭弥と里香さんは共有していて
私とは比べ物にならないくらいたくさんの思い出で繋がれていて
かなわないな、と素直に思った。
恭弥は、私なんかが縛り付けてちゃいけない人だ。


