境内に立つ御神木(ごしんぼく)の桜の木の上はいつだって私の特等席だった。


アスファルトの匂いも道場の熱気も届かない。
学校の屋上とも違い、生徒たちの騒がしい声も聞こえない。青く広がる空と木々の匂い、風に揺れる葉の音だけが聞こえる場所。

17歳の私にとって飾らない本当の自分でいられる場所はここだけだった。
袴姿のまま幹に寄りかかり、読みかけの本を片手に微睡む。

「学校も体験稽古もサボったの知られたら、きっと木刀で殴られるなぁ」

軽口をたたきつつ、手に持っていた本のページをめくる。

--幕末の京都--池田屋事件--禁門の変--

彼らに起こった悲劇が綴られたページを眺め、そっと息を吐いた時だった。
「葵!!またそんな所に登ってんのか!(バチ)当たるから降りてきなさい!」
突然背後から怒鳴られて驚いた私は自分のお腹の上に置いていたスマホが落下しないように握りしめる。スマホの電源が入り、ロック画面には某乙女ゲームの攻略対象となった彼らのデフォルメされたイラストが映し出される。

「体験稽古も学校もサボったんだ。この後の稽古はきっちりと出てもらうからな」

そう言って養父は道場へと戻っていく。
仕方ないと重い腰を上げたその時、左足の裾を踏んづけた。ただそれだけの事だった。
バランスを崩し、世界がスローモーションのようにゆっくりと傾いていく。
“落ちる!!”
手に持っていた荷物を抱きしめ、きつく目をつぶり衝撃に備えた。しかし、いつまで経っても痛みを感じない。それどころか一瞬感じた浮遊感すら感じ無くなっている。
恐る恐る目を開けると私はまだ木の上にいた。正確には御神木ではない別の木の上にいたのだ。
何が起きているのか理解できず辺りを見回すが何も無い。見覚えのない日本屋敷が広がる他何も無いのだ。
呆然とする私の背後から突然ゼロ距離で声がした。
「キミ、そこで何してるの?」
驚くあまりバランスを崩した私は今度こそ木から落下した。

幼い頃亡くなったお母さんお父さん。これはお迎えが来たってやつですか?

ドンッという鈍い音が聞こえ、桜の花びらが舞い散る中私は意識を手放した。