「……なーんだ、やっぱりそうでしたか。…さすがに風邪で通すには無理がありましたかね?」
 小さな笑い声とともに私が告げていくと医者よりも先に斎藤に叱咤されてしまった。
 「笑っている場合か!なぜ黙っていた!…そのような病だと分かっていたら、もっと…」
 「もっと、何?だってこの病気は治療法が無いんでしょ?ただ死ぬのを待つだけなんだよ」
 きっと斎藤さんのことだからゆっくり静養出来るように生活を整えてくれたのかもしれない。最初に具合が悪そうにしていたときに思い切って労咳かもしれない、と話していたらその時点で医者に相談し、少しでも命を永らえさせることができる処置を取ってくれていたかもしれない。
 けれど、この時代では…この時代の医療技術では限界があるだろう。現代においても労咳を患ったまま過ごしていたら最悪の場合手遅れになることだってあるのだ。
 斎藤さんの気持ちも分からなくもない。親しい人が苦しい想いをしてまで身体の具合の悪さを隠しながら過ごし、末期状態になってから打ち明けられたとしたら怒るかもしれない。同じ病の辛さを共有することは出来なくても苦しさを打ち明けて相談することによって少しでも心に抱えるストレスを緩和させることが出来るかもしれない。
 それでも私は隠したかった。下手に周りに騒いで欲しくなかったし、余計な心配もかけさせたくはなかったから。きっとこれは沖田も同じように考えるのではないだろうか?もっとも沖田の場合は、周りに心配をかけることを面倒なこととして隠し通していくのかもしれないけれど。
 「…先生、治療法は無いのでしょうか…」
 斎藤さんはどうやら諦めていないらしい。別に私だって労咳だから人生を諦めてしまっているというわけではないけれど、これからどうやって生きていこうかあまり積極的になんでもかんでも一人でこなして生きていくことは難しくなるだろうなぁと苦悩な人生を今から考えてしまっている。
 「…空気の澄んだところで静養すれば…進行を遅らせることは出来るかもしれませんが…。…沖田さん、労咳の症状が出たのはいつ頃からですか?」
 「…はっきりとは…。ただ、池田屋討ち入りの前後ぐらいからは不調があったと思いますけど…」
 池田屋事件が経ってから日は大分経ってしまっている。病気の聴講が現れ始めたばかりの頃であればしっかりと医者に相談し、なるべくゆっくりと静養していればもっと症状は軽く済んでいたかもしれないが、今考えてみてももう遅いことだ。
 「…かれこれ二週間近くになりますか…。ここまで来てしまうと病自体を治すことは難しいかと思われます…」
 「総司…」
 「…先生も一くんも、そんな顔しないでよ。なるべく安静に過ごす。…これしか方法は無いんだからさ。言うでしょ?時には諦めも肝心だ、って」
 「しかし!」
 「…土方さんにも一くんにも今まで隠してきたのは悪いと思ってるよ…あ、もちろん先生にも騙して来たのは悪いと思ってます。…だけど、やっぱり死病って聞いちゃえば多かれ少なかれ動揺しちゃうでしょ?新選組の大事な幹部に動揺なんてさせたくなかったし、出来ればずっと黙っていたかったんだけどね…」
 上官が動揺すればその部下たちにも知らないうちにその動揺は広まるというものだ。そこに漬け込まれて一網打尽にされてしまうということも戦の中では有り得ない話しではない。
 「…風邪薬は出しませんが、咳や熱を抑えるぐらいの薬でしたらご用意出来ますよ。忘れずに飲んでください。一応、このことは副長さんに伝えておきます。どうやら新選組は近藤さんよりも土方さんを中心に動いている面もあるようですからね」
 先生、よく分かってらっしゃることで。
 幕臣との会合やら何やらといったものは新選組の局長である近藤さんを中心として動くことが多いものの戦や討ち入りの相談といったものはどうやら副長である土方さんを中心として他の幹部たちが相談し合うことで組み立てていくことが多いらしい。それは斎藤さんとの会話のなかで聞いたことだった。もちろんその中には沖田の姿もあったのだが、具合を悪くしてからというもの沖田は療養し、周りにも移されては敵わないということで土方さんからは自室で大人しくしているようにぴしゃりと告げられたこともあった。
 薬の用意に部屋を後にしていった医者の姿が無くなるとなんとも重苦しい場の空気だけが部屋に充満することになってしまった。医者と入れ替わるようにして私の傍に腰を下ろした斎藤さんは怒りとも悲しさとも言えない寂しさのような表情を浮かべて私を見つめてくる。今までこんな斎藤さんの表情を見たことが無かったからどう反応して良いか分からなく無言でいると先に斎藤さんが口を開いた。
 「先ほどは怒鳴りつけるような言い方をしてしまってすまなかった…。だが、オレは…オレたちはそんなに信用出来なかったのか?お前はオレにお前自身のことを打ち明けてもらったことで少なからず信用に置けるものだとばかり考えていたのだが、それはオレの…勝手な思い込みだったのか…?」
 「違…っ!…っ、ケホ…ゴホッ…コホッ!」
 最悪だ。私は下手に心配を掛けまいとして黙っている選択をしたのだがそれは斎藤さんとの絆を揺るがすものになってしまったらしい。困っていることがあったら私の事情を知る土方さんか斎藤さんに相談をする、と昔交わした約束を破ることになってしまったのだ。それに加えて、タイミングの悪いことに一度では止まらない咳が続く。これは喀血が出る咳だと察すると懐から出した布を口元に当てればじわりと布地に咳とともに吐き出された血が滲んでいくのが分かった。
 「総司!」
 「…ん、ごめ…っ…さすがに、びっくりするよね…?」
 労咳の患者を目の前にして苦しむ様子にどう対処を取るべきか斎藤さんは最初戸惑っていたが稽古でたくましく鍛えられた手のひらで優しく咳が止むまで私の背中をさすってくれた。
 口元から布を離すと案の定、血が滲んだ布地が視界に広がり、吐き出された血液の分だけ自分の寿命が縮んでいくような気がした。
 私は女の子だし、血が見慣れないということも無かったし、今更血を見たところでそう慌てふためくことは無かったけれどそれでも口から喀血するとなると咳の苦しさや血を失ったことで少しばかりクラクラする頭に近くの壁に背を預けていった。
 「…気付いてやれなくてすまなかった…。…予感はしていたんだ。ただ、心のどこかでは重い病にお前がかかるはずがないとそう願っていたのかもしれない…」
 「一くんが謝ることは無いよ。寧ろ私のほうこそ、ごめんね…頼りない身体になっちゃって、ごめん…」
 沖田なら謝らないだろうから、せめて私から謝りたかった。これで斎藤さんに病気のことが知られ、医者の口から土方さんの耳へと私の具合のことは伝わっていくのだろう。土方さんも斎藤さんも優しいからわざわざ病気を患っている私を戦地に立たせるようなことは無いはずだ。ただ、私が恐れているのはこのままここに…新選組にいられるかどうかという心配だけが募っていった。