名刺に視線を落とし、「なつめさんっていうんですね。お若いですね」と、微笑んだ。

「はい。今年大学を卒業しまして……」

気づいていないのか。いや、そんなわけない。この前、一目で私だとわかったのだから。

先生はなんの魂胆があって、「初めまして」と言ったんだろう。

というか自分が蒔いた種か。この前、先生の好意を無下にしたのは、私だ。なかった人にされても仕方ないかもしれない。

だけど無駄な小芝居を続けていくには限度がある。

今、知り合いだってことを言おう。この前のこと、謝ろう。じゃないとこの先のことを考えるとやっていけない。

そう思ったのに、沙弥子さんは、「そろそろ戻りますよね」と、帰るような雰囲気をつくる。

「そうですね。今出先からの帰りだったんですけど、少し仕事が残っているので」と、先生もそれを受け止める。

先生は「ではよろしくお願いします」と私に向かって原稿の入った大判の茶封筒を差し出した。急に背筋が伸びた。緊張が身を包む。

「はい」と私が受け取り、沙弥子さんが「確認しましたら、あとでご連絡しますね」と微笑んだ。

沙弥子さんが「初めての顔合わせだし、外まで送ってきな」と、私に耳打ちすると、「打ち合わせがあるのでここで失礼します」とその場を去って行ってしまった。

どうしようと思ったけど、仕方ない。

エレベーターの呼び出しボタンを押して待つ間も無言だった。何か話さなければと思うのに。