日常との別れ

 そこには、白い布をかぶった二人が冷たいベッドに横たわっていた。

そうおと、布をめくると、そこには久しぶりに見る親父の顔が、

隣の布をめくると、そこには今朝見た母親の顔が。

 交通事故だった。

 親父を迎えに空港までお袋が赴いていた。 いつものことだった。だがその日は、歯車が少しばかり「ひずんでいた」そのひずみは大きな故障を生み、その歯車そのものを壊してしまった。


 二人で横断歩道を渡っていたとき、信号無視をして交差点に突っ込んだ大型トラック、居眠り運転だった。

逃げようがなかったらしい、あっという間に二人をなぎ倒し、その反動で気が付いた運転手が急ブレーキを駆け停止した。

 その側方の傍らに、大切な人を必に抱え込むように、二人は全身を己の体から流れ出る褐色の液体の中に浮かんでいた。

 人間、一度に自分が処理(理解)できる数倍のことがらが押し寄せてきたとき、それを判断するのをやめてしまうらしい。
 
僕は、その時泣くことさえできなかった。 

いやその現実を受け入れることが出来ていなかったのだ。

 親父は、小さいが食材の輸入業をしていた。主に菓子材をメインとした、珍しいものやその土地にしか知りえない商品などを、現地に赴き直接交渉で日本に輸入をしていた。

「世界には、表に出ないだけで本当にいい食材がたくさんある。俺はそんな表には出ないが本当に良い食材を少しでも多く日本に紹介したい」

それが親父の確か口癖だったと思う。

 出張が多くほとんど海外を飛び回っていて、あまり家にはいなかった。だが夫婦中は良かったと、子供ながら感じていた。

 そのなかが良いといっても、二人でべたべたするようなことではなく、今思えば お互いに信じ合い慈しみ合い、尊敬をしていたように思える。

その二人の若いころのことはほとんど聞かされていない。母親は、秋田の出身で、今はもう実家というものもなく、近親の親戚もなくなったと最近聞いていた。

 今となればどうやって、あの二人が出会ったなど、なれそめを聞いておくべきだったと後悔している。 

 我が親ながら、二人の想いは相当に強固な糸で結ばれているように感じていた。

その、二人の強い思いを結晶として世に生まれた 僕を残して二人は、だれも手が届かない世界に旅立って行ってしまった。

 僕は、必死に二人を送ってやった。

 出来ることはすべてやりたかった。いやだれの手も借りたくはなかった。しかし高校2年の「ガキ」にそのすべてを取り仕切ることは不可能だった。


そして思い知る。はじめて親父の偉大さを。


本当に多くの人が 弔問に来た。その人々を一つ一つを僕はただ眺めることしかできなかった。

 それからしばらくして、僕は二人を、本当に静かななるところへ導き、形あるものから、自分の心の中へと二人を導いた。



そして季節は、夏をこの街も迎えていた。