『あの時の生意気な小娘が、今では俺の思うがままとは…実に愉快だな』

神田の声で、時夢は我に返った。


神田は蜜を舐めるかのように、時夢の頬に舌を這わせている。


さっきまで感じていた十数年前の記憶の温もりとは違う嗚咽感漂う悪臭と視界を焼く満月に、時夢はきつく目蓋を閉じた。


『京を護っているのは剣でも橘道場でもなく、我ら"伏見衆〈フセミシュウ〉"だ。
時夢よ…、お前が先代に倣い、これからも伏見衆の言う通りに京にとって都合の悪い人間を斬り殺していけば、橘道場が衰退することは無い。
よいな…?』


神田は耳許で囁くようにそう言うと、やっとで時夢の身体を解放した。


『報酬は後日道場へと届ける。
また、次も頼むぞ』


河原から立ち去る神田の背中を見つめながら、時夢ははだけた浴衣の肩を元に戻す。


『絶対に殺したるわ。
伏見衆全員な…』


時夢は憎々しげに独り言を呟くと、地に唾を吐き袖で口許を拭った。


『必ず…
橘が京國の天を取るんや…』


時夢は決心の瞳に町の灯を映し、月下に羽織をはためかせたのだった――――――。






第1話【完】