『ひゃあぁあああああ!!』


言葉も発さず、血飛沫を上げながら膝から崩れ落ちる髭男に、矢加部の情けない叫び声が竹林に虚しくこだます。


『な…何で…何で…?』


目の前で起こった光景に何が何だか分からず混乱する中、腰を抜かした矢加部はただただその怯えた瞳にユメを映すしかなかった。


ユメは、地面で微かに痙攣している髭男を一瞥した後、矢加部の方へと冷たい視線を送った。


『入って来たからや』


ユメはそう言いながら、矢加部へと歩み寄って来る。


『入って…来たから…?
あ…待って…待っておくれ!!悪かったよ!!
覗き見るつもりはなかったんだ!!本当だ!!信じておくれ!!』


必死で助けを乞う矢加部をユメは無表情で見下ろす。


『天下だろうが國だろうが…銭にものいわせてアンタの好きにしたらええねん。
でもな、矢加部はん…
この京都だけは、汚させるわけにはいかんのや』


ユメが言ってることの意味を矢加部は理解できなかった。


『京都を汚す…?一体何を言ってるんだい…ユメちゃん…?』


もう夜がそこまで迫ってきている。
風は消え静寂と化した竹林で、まるでユメは闇の衣を纏っているかのようにして立っている。


『ワテがアンタを斬る理由は1つや…。
アンタが、汚ない銭を持って、この京國に入って来たからや…』


(京國…?)
矢加部の脳裏に父の言葉が甦る。


(京都は一つの國だ)


只の玩具だと思っていた隠ノ桜一文字は、紛れもなく殺人凶器だった。
道場の御飾り人形だと思っていた美しい女は、今まさに自分の命を狩ろうとしている死神だった。

矢加部は、自分の首筋に鋭い刃が食い込む冷たい感触の中でも、ユメから目を離すことができなかった。


しなやかに動く身体の線を、緩やかに流れる黒髪を、刹那に止まる瞬間を、その網膜に焼き付けるかのように矢加部は両眼を見開いたまま笑っていた。