夢が醒めなくて

「辞典はまあ、使えばいいとして、読む本も選んだら?」
この辞典だけですごい金額になるのに、義人氏はあっさりそう言ってくれた。

うれしくて、私は読みたかった本を探してもらった。
『クォ・ヴァディス』上中下巻の3冊。

「何か見覚えある気もするけど、読んだことないわ。どんな話?……いや、読んでへんか。手帳のメーカーで知ってるだけか。」

手帳もあるの?
よくわからないので、私も知ってる範囲で答えた。

「帝政ローマの暴君ネロの時代の話です。貴族とキリスト教と奴隷と。」
「ふーん?希和が読んだ後で、俺にも貸して。」
そう言われて、私はうれしくなった。

帰宅すると、お母さんが飛んできた。
「お帰りなさーい。わ!すごい本!受験、うまくいったのね?」

「はい!何か、すみません。お言葉に甘えてこんなの買ってもらっちゃいました。」
そう言って漢和辞典を見せたけど、お母さんはクォ・ヴァディスに目が釘付けだった。

「知ってる。これ。昔、読んだ。」
お母さんの目がキラキラ輝いた。

「へえ。お母さんも読んだんや。おもしろかった?」
義人氏がそう聞くと、お母さんはうなずいた。

「内容、すっかり忘れたけど、おもしろかった記憶があるわ。あ!思い出した!最後、奴隷と死んじゃう、」
「ストップ!ネタバレ禁止!希和の後で俺も読むねんから。」
慌てて義人氏が暴走するお母さんを止めてくれた。

「はーい。私も読みたい。義人の後でいいから。」
驚いたことに、お母さんまでが読むと言ってくれた。

……こんなことでも、知識と感動を共有しようてしてくださってる親愛の心を感じた。


その夜は、読書に没頭した。
雪が少し強く降り出したので、ガス暖炉の前にカウチを置いて寝そべって読んだ。

ペトロニウスって、そうか!
『サテュリコン』の著者のペトロニウスか!

うわぁ。
好きだわ、このひと。
ドキドキする。

高尚な趣味人で、美の審判者で、身分の低い奴隷でもちゃんと一己のヒトとして愛し、禁教の伝道師にも耳を傾けてて……あれ?
何となく、何となくだけど……誰かさんを思い出した。

いやいやいや。
ペトロニウスは好色じゃない……はず……。

……そんなわけないか。
ローマ貴族だもんね。
男も女もよりどりみどりかな。

……てか!
一旦、そんな風に感じたら、もう、ダメだった。

ペトロニウスがどれだけ知的で、かっこよくて、素敵でも、つい一歩引いて見てしまった。