その後は埼玉・群馬・茨城などの北関東周辺を放浪し、熱海を経て静岡県の駿河湾付近まで南下した後に青森県まで北上する事を決める。

事件前に福岡県の知人宛てに近々遊びに行く旨のメールを送信しており、パソコンの記録解析によって南方への逃亡が察知される危険性を考えた行動であったと思われる。

東京から新潟を経て青森まで移動したが、青森駅前公園で寝泊まりするうちに青森の経済状況がよくない事を感じ取り、再び移動。

瀬尾の足取りはそこから途絶えていた。

僅か一週間の間に、随分と移動している。

一ヶ所に留まる事が危険と判断しての事だろう。

「尚、瀬尾の自宅を捜索しましたが、プラスチック爆薬を含めた爆弾製造の材料は一切発見されませんでした。つまり」

倉本は神妙な表情をする。

「今も尚、瀬尾は爆発物を所持したまま逃走を続けている可能性が高いという事です」